OBからのメッセージ No.52
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久枝芳則卒業年度:1969年(S44年)
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久枝芳則卒業年度:1969年(S44年)
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表題
- 中国で一人でタクシーに乗った
2026年10月9日
1998年から5年間、私は中国・江蘇省無錫市のD社JV企業へ出向、無錫市に駐在しました。駐在して半年くらい経ち、片言の中国語が喋れるようになったころ、上海・虹橋空港から無錫まで一人でタクシーに乗った時のお話です。

(拙い中国語でなんとか)
北京出張の帰り、北京空港から上海・虹橋空港を経由し、一人で帰ることにしました。虹橋空港から無錫まで120kmはタクシー。通訳君は心配するのだが、何とかなると意を決して。
北京空港と上海・虹橋空港のチェックを無事通過、虹橋空港のタクシー乗り場へ行きました。タクシーに乗り、運転手に高速道路出口IC「無錫東(ウーシー・ドン)」を伝え、車はスタート。タクシーは上海から南京に向かう高速道路を順調に走り、蘇州近くにさしかかったとき、上海の運転手が無錫市内の地理に詳しくないことに気付きました。
無錫東ICから私の宿舎まで10kmほどの道順を上手く説明できそうになく、はたと困りました。
偶々ポケット中国語会話辞典を持っており、辞書を引いてメモ用紙一枚一枚に「弯右拐(ワン・ヨウ・グァイ)=右に曲がれ」、「弯左拐(ワン・ゾウ・グァイ)=左に曲がれ」、「一直走(イー・ヅ・ゾゥ)=真っすぐ行け」、「停車(ティン・チャ―)=停まれ」と四つの 言葉を書き留め、私が喋る中国語がダメならメモ用紙を見せればよい、と筆談を覚悟。
そうこうしているうち、タクシーは無錫東ICに着き、拙い中国語で「弯右拐」、「弯左拐」と 指示、メモ用紙を見せて筆談することもなく、無事宿舎に着くことができました。
下手な私の中国語が通じたことが嬉しく、達成感がありました。やればできるものです。その時憶えた四つの中国語は、今も鮮明に記憶しています。
後日、同様にして上海から無錫に帰るとき、タクシー運転手が道を間違えてしまった。引き返さなければならなくなり、「后面走(ホウ・ミェン・ゾゥ)=後方へ行け」を加え、上海―無錫間の一人タクシー移動は完璧になりました。
(もう一つ別のお話:寂しい倉庫街に連れ込まれ心臓バクバク)
同じく、中国内を旅行し上海・虹橋空港を経由して無錫に帰るときとのこと。虹橋空港タクシー乗り場にはタクシー待ちの客が長蛇の列。最後尾に並びましたが、なかなか乗車できずイライラ。 そこに「無錫・無錫(ウーシー・ウーシー)200元」と叫ぶ声、その声について行きました。
ついて行くと、タクシー乗り場から少し離れた路上に停めた空車のタクシー。無錫まで200元(約3000円)で行くという。距離は120km、正規運賃なら400元(約6000円)ほどですから安いものです。・・・どちらにしても超安価・・・
私を乗せたタクシーは走りだし、気が付くと無錫方面でなく、ヒト気のない寂しい倉庫街を走っている。そのひっそりとした倉庫街の路上に別のタクシーが停まっており、私を乗せたタクシーはその車の前に停車。
二台のタクシー。運転手は車を降り、路上で何か中国語でやり取り、何を喋っているのか全く分からない。そのうち私が乗ったタクシー運転手は、「車を乗り換えろ」と私に手振りで指示、これはヤバいことになったと心臓バクバクするも、
従うしかない。
乗り換えたタクシーは走りだし、冷や冷やしながら30分、無錫へ通じる高速道路を走るのが分かりホッとしました。宿舎に着いて約束通り200元を支払い下車。着いてみれば正直で良心的なタクシー運転手さんでした。
後で分かったことですが、乗り換えた車は無錫のタクシー、無錫から上海に客を乗せて来た帰りの空車。二人のタクシー運転手は知り合いで、無線で連絡取り合い、ヒト気を避けて寂しい倉庫街で合流。路上でタクシー代200元の分け前を交渉していたわけです。
タクシーの認可圏外での営業は中国でも違法。私の経験は、違法タクシーに乗った一例ですが、 無錫駅近くの目立たないところでも、ひっそり違法タクシーは営業していました。
今はどうなっているでしょうか。