OBからのメッセージ No.4
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佐野 満秋卒業年度:1975年(S50年)
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佐野 満秋卒業年度:1975年(S50年)
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表題
- 新居浜高専の思い出
2022/04/08
昭和46年か47年の頃、初代校長小藤ことう甫はじめ先生のご友人の西堀栄三郎様が「石橋を叩いていては渡れない」と言う題目でご講演下さいました。西堀先生は初代南極越冬隊隊長を務められたそうで、私達が中学校で習った「雪山讃歌」を作詞された方なんだそうです。学生時代に山岳部に所属されており、山に登っていた時に其の詩を思いついたらしい。学生としての本分に加え真空管の研究の片手間でガラス細工師としても鍛錬為さっていたそうで、その技能は後の特殊真空管の製造に活かされたそうです。私が社会人になって難題に直面する度に思い出したその時の話(いわば技術者への教訓)を以下に記します。
① 戦時中の事、ドイツ軍が使用していた特殊な真空管の製造を日本企業では初めて成功したそうである。その時の回顧談:軍のお偉い方々がやってきて見本を見せ「これと同じ物を作れ!」とすごんだらしい。他社でも同様に開発命令を出されておったらしいが何処も成功できなかった。
西堀先生はその命令に対し「全く同じ物はできないかもしれないけれども同じ機能の物であれば良いのではないですか?」と回答したそうです。理由として「ドイツと日本では材料や設備が異なるだろうから、同じ形状と寸法の物を作るより機能を重視して形状と寸法は日本の設備の能力に見合った物を作るのが妥当」との判断であったそうな。かくして見本の詳細分析を始めると様々な状況が判明しその性質を構成するために今の設備でどのように対処するかを考えて「同じ機能の物」を短期間で作り上げたそうです。
そこでの助言として「皆さんも将来企業で働く折、このように外国で開発した物を国産化する機会がきっとあるでしょう。その時にはこの話を参考にしてみて下さい」と。
② 南極越冬隊の準備段階での四方山話:「南極の冬は寒いので隊員一人当たり毎日二合の酒を追加して欲しい」と当局に要請した。その後、酒造現場を立会した時の驚きの実状。メーカー曰く「日本酒のアルコール分は14%程度。それをオリジナルのまま瓶詰・梱包するとしたら容積が嵩かさ張ばる。主目的の機材と食材で船倉が一杯な処、酒の空間が足りなくなるだろうから濃縮(水分を取り除いてエタノールを追加)することにした。南極には雪と氷は一杯あるだろうからそれで好みの濃度に薄めて飲んでよね!」ですと。まぁ一応、酒の味は楽しめたそうです。
③ 南極に着いて作業を始めた処、防寒着の損傷が予想外に頻発した。それの修理係を任せられる裁縫の得意な人が居なかった。で、くじ引きで決めた。ところが当たった者は一番不器用だった。どうなることやら心配であったが、彼が出したアイデアは“破れたところにガムテープをペタンペタンと当てがって塞ぐ方法”であった。簡単な作業で速くて実に巧く行った! 正統派(=針と糸で裁縫をした)ならきっと時間が掛って担当者は寝不足になっていたことであろう。常識を逸脱してようと邪道と言われようと目的は十分に果たせた。「固定観念にこだわるべからず。手法はさておき目的のみを目指してブレィクスルーすべし」
④ 以上の話の最後に、「新しい仕事を始める時には温故知新も大事だし、慎重に調査・検討することも大事だが、石橋を叩いていては橋が壊れる危険すらある。経験者の意見も大事だが若い君らにはその経験がない。真の目的を見極め、それに到達する最も容易な方法からまづは試してみるべし。石橋を叩いていては渡れない。飛び越せ!」と。
https://twitter.com/e_nishibori_botついで乍ら小生が1997年から定年までの17年間単身赴任した滋賀県愛知郡えちぐん愛知川町えちがわちょうにある会社の近くに「西堀栄三郎記念探検の殿堂」がありました。ご興味ある方は是非ご覧ください。
史実の詳細:<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%A0%80%E6%A0%84%E4%B8%89%E9%83%8E>
西堀栄三郎名言集:<https://twitter.com/e_nishibori_bot >
西堀栄三郎記念探検の殿堂:<探検の殿堂~西堀榮三郎記念~EXPLORER MUSEUM (e-omi-muse.com>