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OBからのメッセージ No.16

  • 第1期 機械工学科
卒業年度:1967年(S42年)

  • 第1期 機械工学科
卒業年度:1967年(S42年)

表題

  • 我が闘病記

2023/02/05

 

脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)という病気との闘い

 

関東ひうち会の皆さん、そして新居浜高専卒業生の皆さんお元気でしょうか?これから私の拙い話で申し訳ありませんがお付き合いください。

 

私の脊柱管狭窄症という病気との闘いは、もう15年以上にもなります。発病したのは60歳を過ぎた頃でした。たまたま北海道を旅行中のこと、旭川の旭山動物園を見物中右足の付け根辺りがだんだんと痛くなり歩行困難となりました。どうしたものか苦慮していた処、幸い巡回バスが来たので入り口まで運んでもらいました。その後が大変でした。観光バスなので、景勝地での観光そしてトイレタイム時に歩く度右足の付け根が突き刺すように痛み20mくらい歩くのがやっとで「休んでは歩く、休んでは歩くと言う所謂いわゆる:間欠跛行はこう」という状態でした。這這の体で何とか帰宅できました。その時の私の認識は、そのうち時間がたてば回復するだろうという気楽なものでした。

 

ところが驚いたことに右足の突き刺すような痛みは帰宅後瞬く間になくなりましたが、今度は左足の股関節の辺りに鈍痛のような痛みが起こり始めました。この時もまた暫くすれば収まるだろうと高を括っていました。ところがこの痛みはもちろん間欠跛行を伴い、良くなる兆しはありませんでした。 暫くして両足のしびれ、それにも増してデリケートゾーンの異常も発生して来ました。

いろいろ悩み考え健康雑誌などを参考にして調べた結果、私なりに、この股関節当たりの痛みは昔、棒高跳びまがいの練習時に左腰部打撲の後遺症だろう。そしてこの病気は脊柱管狭窄症であり、その症状はその当時の雑誌の記述によれば、手術は難しいだろうという結論に達しました。

 

いろいろ考えた挙句、自力での回復を目指すことにしました。筋トレを通じてインナーマッスルを鍛えれば治るのではないかと考え実行することにしました。そして近くのスポーツクラブに入会しました。始めはどの機械を使えばいいか、強度はどうか、回数はといろいろ悩みながらもなんとか継続できるようと工夫しながらの出発でした。続けながら、時にはスポーツトレーナに助力を求めたり、同じ腰痛を抱えた人の経験を聞いたり、アスリートのトレーニングを真似たり、低周波治療器を試したり、整体院に通ったりと、年月を重ね試行錯誤、期待と挫折を繰り返しながらも、治せるという希望を捨てずにかれこれ15年間頑張ってきました。

よくもまあ飽きもせず続けられたものだと思いますが、これが私の唯一の取柄ではないかと秘かに思っています。

 

しかし結果は思い通りにはいかず、現在も悶々と疑問を抱きながらも続けていますが、3 年前位でしょうかふと思いつき、一度は診察を受け自分の病状の程度はどんなものかと知っておく必要があるとMRI を撮ったところ、即手術しましょうとのことでした。手術はどんな後遺症を伴うかわからないので断りました。ところで現状はと申しますと、両足のしびれは最悪時の、足の下に分厚いゴムのシートを履いている感覚から、足の裏で地面を踏んでいる事が判るようにはなりました。股関節の痛みはと言えば間欠跛行は一進一退というところでしょうか、今は知人からの情報で後ろ歩きを試しています、まだよくなった実感はありませんが暫く続けるつもりです。

 

手前味噌で考えますと、今まで悪化せず寝たきりにならなかった事は評価してもいいのではないかと思っています。しかしまだまだ苦闘は続きそうです。

最後に私が申しあげたいのは、皆様方におきましては、病気になっても絶対に諦めないでということを申し上げたいと思います。ご味読戴きありがとうございました。



運営からのコメント

会員の中には様々な豪傑が居ますが、今回お届けするのは病気と闘うOBです。日課の様に淡々と向き合っているユニークな回復活動を語って頂いています。 仲間として大きなエールを送りたいと思います。ぜひご一読ください。
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