OBからのメッセージ No.20
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片上 男次卒業年度:1969年(S44年)
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片上 男次卒業年度:1969年(S44年)
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表題
- 70代・感謝の気持ちで青春を楽しむ!
2023/03/16
2023年(令和5年)の5月に私は75歳になります。再々就職した会社を70歳で定年退職し、片上技術士事務所で個人事業主として技術コンサルタントをしています。幸い今までの人と仕事の繋がりで、複数の企業から業務委託があり、少し緩めの仕事を楽しんでいます。緩めの仕事とは、
①仕事に追われナイ
②時間に追われナイ
③人に煩わされナイ
の三つ、いわゆる所謂マイペースで出来る無理のナイ仕事です。
現役の会社員時代は、ゼネコンS社(32年)、丸の内の総合商社M社系(11年)、日本橋の不動産会社M社系(4年)の異なる業種の3つの企業で47年間、国内及び海外の数多くのプロジェクトに幅広く参画しました。
プロジェクトの段階では、計画・設計 ⇒ 施工 ⇒ 竣工後の管理・運営の各段階、立場では、発注者、受注者、所有者のいずれの立場も経験しました。様々なことにチャレンジでき、プロジェクト毎にそれぞれ達成感があり、存分に仕事を楽しませて頂きましたが、仕事に追われ、時間に追われる多忙な日々でした。今のような自由でストレスレスな日常は、舟木一夫のヒット曲「高校3年生」の学園ソングを歌い、青春を肌で感じ、何をやってもとにかく楽しかった高専生の頃と少し重なるような気がします。
業務委託で受託している仕事の一つに、電気主任技術者の資格取得教育があります。電験2種、3種の資格取得を推進している建物管理会社で、週3日の講義を講師は私一人で、講習スケジュール、内容、方法は自由にやらせて貰っています。
機械卒業なのに、なんで電気主任技術者の資格取得の講師かと思われるかもしれませんが、私は高専卒業と同時に東北大学 工学部 電気系学科の3年に編入学しました。電気を選んだ理由は、機械の枠にとらわれず、工学を幅広く学びたかったからです。卒業時は機械系、電気系どちらも出来ましたが、社会人では電気に軸足を置きました。
電験は、出題範囲が広く計算問題が多いので結構難しい試験です。過去問を主体に講習していますが、水力発電では水力学、火力発電では熱力学の基礎的な問題、2種では微分・積分、ラプラス変換を用いて解く問題もあります。講師として教える立場でテキストや過去問に向き合っていると、応用数学や力学を、クラス仲間と共に机を並べて学んでいた高専時代の様々なシーンが思い出され、今やっていることは青春か、青春時代の巻き戻しか、と思うことがありました。
そこで、改めて青春時代及び青春とは何か調べてみました。青春時代は10代後半から20代前半までの年代をいうが、青春とは、
①健康で気持が若い
②考え方が前向きである
③毎日が楽しい
④新しい人との出会いがある
⑤時間を持て余していない
等で、年齢には関係ないと書いてある。これらの視点で日常を見ると、やや欠けるものもあるが概ね満たしている、70代は青春時代ではないが、70代にも青春はある、と認識した。
10代の青春時代は意識しなくても来るが、70代の青春は意識しないと気づかないし、気づいてもそのままにしていると、スーとどこかに行ってしまいそうである。かすかに感じるなつかしい青春のなごりの風を、少しでも長く楽しむにはどうすればよいか、と考えたとき、まずは健康が第一であると思った。すると、これまでも週末には、近くの武蔵野公園や野川公園を歩いたり走ったりしていたが、翌週の仕事に向け散歩で体調を整えることが、青春の風の持続に繋がる、と気づいた途端、たかが散歩であっても気持が入った散歩になった。
都心への通勤には中央線を利用しており、自宅から最寄りの駅まで自転車で通っている。途中坂道があり、朝は登り坂で自転車を押している。脇を電動自転車でスイスイ登る人や、奥さんの運転するベンツにふんぞり返っている紳士が追い抜いて行く。うらやましいとは思わない。俺は足腰がくたばらないよう朝からいい運動をさせて貰っている、坂道に感謝したい、ものは考えようである。
この坂道を登っていると、約59年前の高専入学式の小藤校長の式辞を思い出します。「折れず・曲がらず・よく切れる」日本刀の製作工程に例えて、これからの5年間、勉学や運動に励み、心身を鍛え磨いて欲しい、といった内容だったと記憶しています。「鉄は熱いうちに打て」と言われるが、70代の体は10代のように熱くはないし柔らかくもない、今やれることは、現在の健康と体力を維持することだ、無理なく急がずゆっくり登ろう、と思いながら登る坂道も朝から楽しい。
話は変わりますが、2014年(平成26年)の11月、関東ひうち会の懇親会が中野サンプラザで開催され、来賓として青野先生が参加されました。84歳の先生は、この日の朝広島を発ち懇親会に出席し、懇親会後の二次会も楽しまれたと聞いています。そのかくしゃく矍鑠 とした元気なお姿は今も目に焼き付いています。当時私は66歳で、最後のご奉公と思い数ヶ月前に新しい職場に再々就職した話をすると、先生から、「君、まだまだ若いよ、これからだよ」と激励の言葉を頂きました。青野先生の歴史の授業は受けましたが、会話の機会はこれが最初で最後になりました。
講習の受講生は、20~50代と幅があり、経歴も様々で電気系学科の卒業生もいれば、社会人になって興味を持ち初めて電気を学ぶ文系の人もいます。年齢、役職に関係なく全員を「サン」付けで呼び、「来る者は拒まず、去る者は追わず」のオープンな少人数スタイルの講習です。相互のコミュニケーションが十分に図れ、講師と受講生の関係というより、電気を学ぶ仲間の意識で接しています。40~50代の受講生が、計算間違い、勘違い、記憶力の衰えを、年のせいだと口にするときがある。私もそれらの原因の半分位は年のせいだと思うが、この様な言葉を耳にすると、青野先生の言葉を借りて、「○○さん、まだまだ若いよ、これからだよ、私の年までやると思えば、まだ、20年、30年あるじゃないか。今を乗り越えれば、その先には第二、第三の人生が待っているよ。」と激励している。又同時に、青野先生がこのような言葉を発せられた時の年齢に達するのは、俺は10年先だ、「まだまだ若いよ、これからだよ」、と自分にも言い聞かしている。
電験講師を2~3年していると、徐々に仕事というより趣味を楽しんでいるような感覚になった。仕事が趣味に、趣味が仕事になり始めたのだろう。すると不思議に朝・夕の満員電車の通勤も苦にならなくなった。時折、通勤は健康づくりの散歩の時間、講習は趣味の時間、趣味を楽しむため都心に通っている、と錯覚することがある。講習は趣味の一環だと言うと、講習を適当にやっているのではないか、と思われるかもしれないが、そんなことは全くない。講習の楽しさは、幅広い年代の意欲ある受講生のおかげだ、ならば、私以上に受講生が楽しく有意義で出席し甲斐があると感じる講習にしよう、受講生の希望も聞き、分かり易い講習資料の作成や説明方法の改善に努めている。又、本人は70代の青春を楽しんでいるつもりでも、老害と思われないよう、常に謙虚な姿勢で接し、今の楽しさを1年でも、1ヶ月でも、いや1日でもよいから長く続けられるよう努力したい。
青春時代のある時期、日記を書いていた。長続きせず、今では当時の日記がどこにあるか分からない。約8年前、ふとしたことから私の日常の楽しさは、周囲の皆さんのおかげである、日々これ感謝しかないと思い始めた。就寝前に一日を振り返り、自分にプラスになったこと、楽しかったこと、嬉しかったこと等、何か一つ感謝のメモとしてエクセルで一行書き始めた。家族に関しては、日々感謝しているからメモの対象にはしていない。感謝することが何も無いと思うような日でも必ず何かある、気がつかないだけだ。記した行数は、昨日で2,867行になる。たった一行、約45文字だから続いているのだろう。自宅に居る日は、疲れていても酔っ払っていても必ず書く。書き終えると、明日も楽しい一日を迎えたいものだ、と思って床に就く。寝つきの悪い日はなく熟睡の毎日である。
この習慣のお陰か、以前にも増して肩の力が抜け、気持が軽くなり、何事も前向きに考えられ、人間関係がスムーズに進むように感じます。夢や希望に満ちワクワクした10代の青春ではないが、様々なことがプラスのスパイラルでゆっくり廻っているように感じ、爽やかで心地良い今の日常を、70代の青春と思っている。
2月上旬に寄稿分の依頼があり、最近感じていること、思っていることを整理するには丁度いい機会だと思い書きました。趣味の領域の独り言、と読み流して頂ければ幸いです。本日の感謝のメモは、「寄稿文を書くきっかけのメールをくれた広報担当の西田さんに感謝。」と記して寝よう。

寄稿文作成中の3月7日に、演歌歌手・福田こうへいのコンサートが中野サンプラザであり、招待券が有りましたので鑑賞に行きました。
青野先生から、「まだまだ若いよ、これからだよ」と激励された思い出の場所として、永く記憶に留めようと思い記念に撮りました。
私の左側に、建物名称 “SUNPLAZA” が読めます。