OBからのメッセージ No.21
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佐野 満秋卒業年度:1975年(S50年)
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佐野 満秋卒業年度:1975年(S50年)
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表題
- 海外での思い出&今昔四方山話: ドイツ編
2023/04/15
1983 年11月26日、モスクワ空港での経験の後、ドイツ国フランクフルト空港へ到着した。 そこからシュツットガルトへ乗換えの移動中、車の乗降場所とか建屋出入り口では兵隊さんたちがカービン銃を肩に下げて警備しているのが窓から見えた。日本ではこんな警備など見たことなかった。ここでも日本の平和とは別次元の臨戦態勢なのだ。
シュツットガルト空港でRB社が手配してくれていたタクシーの運転手が、空港検閲の出口で私の社名と名前を書いた紙を胸元に抱えて待ってくれていた。車は数年前のモデルと思しきディーゼルエンジンのベンツ、運転手は60歳が近いと思しき女性。日本では女性のタクシー運転手はとても珍しかった時代。運転手は、「道中景色が楽しめるよう見通しが良い助手席に座りなさい」と。お勧めに従い助手席に座ってみたらなんと積算距離計は50万km以上を示していた。其れなのに走り始めた後に軋きしみ音一つ出ないのにまず感動。聴けば「タイヤは何度交換したか覚えていないゎ。エンジンは最近新しいのに交換したのよ。ベンツは高価で注文しても一年以上待たないと手に入らないけど、頑丈で長持ちするから、結局割安になるのよ!あなたもベンツを買いなさい。」と。
(1986 年に私の会社を訪れたドイツ人が私に尋ねた。「お宅から会社へ来るのにどれほどかかるのか?」私の家から会社までの直線距離は5km程だったが、駅まで歩いて15分、電車の待ち時間10 分、その後に乗って一駅5分、駅からバスを待って10分、バスに乗って10分で50分だね!」彼は驚き「そうか?結構掛かるんだな! 私の場合は車で30分しか掛からないよ。」 私の質問「何キロ離れてるの?」 彼「100kmだよ」 私「えっ?」 彼「時速200km/hで走るから驚くことじゃないよ」彼は毎日往復200km走行していた。そんなことだからタクシーが1年に10万kmを走っても不思議じゃない!また、2003年にドイツで聞いた同僚の話によると“一年で7万km走行した”との事で、車の積算走行距離の長さはその国では珍しくとも何ともない模様である。)
当時の私の愛車は富士重工のレオーネだったが、一年経った頃から軋み音が結構耳障りになっていた。「その会社は戦時中『隼や零戦の栄エンジン』を作っていたことは頓とみに有名で、自動車用の水平対向のエンジンは航空会社のパイロットには絶賛されているのだ」と、自動車短大卒の同期入社の同僚が太鼓判を押してくれたものである。当時の日本車は1年走ると概ね軋み音が出るのは当たり前で10万km走行すると買い替え時とか言われていたのは悲しい話ではありまする。
RB 社に到着し最初の昼食は来賓接待用レストランへ案内された。RB社はどこの工場でも従業員用の食堂と来賓用のレストランを設けており、取締役の一人が待って居た。その御仁は「よう来た、よう来た。まずは飲め。ビールにするかワインが好きか?」と。
「私は下戸だし今は昼間だから遠慮します。」と返したが「ドイツでは昼間から酒を飲んでも良いのだ。この国のビールやワインの種類は豊富だし旨い。下戸なら飲めないのは分かるが、味見だけでも試してみろ。遠慮するな。」と。乾杯だけのつもりで頂くことにした。まぁ、時差ぼけはあるしコップ一杯のビールですぐに顔が赤くなりお眠になって来た。
そうしたところへ彼の御仁が唐突に
「君達日本人は、原爆を落として大量の市民を殺戮した米国と何故に仲良くするのか?」と、予想だにしなかった質問を真剣な眼差しで投げかけてきた。ビジネス面のFAQは用意していたのだが、大番狂わせの問い掛けであった。
眠気は吹っ飛び、咽むせて、飲んだビールを吹き出しそうになった。この御仁の心の中では戦争はまだ終わっていないようだった。
小生歴史は苦手だったのだが、戦争の悲惨さや悔しさは両親から聞いていたし、高専入学後学校の図書館で調べたことがあったので、自分の認識を伝えた。
「私は終戦後9年経って産まれたので戦争は知らずに育ちましたが、学生時代に広島の原爆記念館を訪ねた事があり、あの原爆の凄まじさと悲しい事実を知りました。
然しながら日本でもその研究をしていたそうで、材料と費用が不足した為に完成できなかったらしいですし、完成したとしても米国本土に輸送する飛行機があったのか、その燃料が足りていたかなどの疑問はあります。原爆は恐ろしい兵器ですが、もしかしたら逆の立場も考えられたかもしれません。
一方、米国は2種類もの原爆の製造に成功し運用したのですからもはや敵ながら天晴あっぱれと屈服するしかありません。
原爆が切掛けとなって日本は終戦の決断をしました。その後の米国は日本を植民地化することなく暫く統治したものの、軍国主義から民主主義を根付かせ産業と経済は発展しました。一部の日本人は未だに不合理を余儀なくされていますが、今の日本国の繁栄は米国の関わりのお陰だと思っています。恨んでも仕方がない所も沢山ありますが、感謝すべきところも多々あります。国民の大多数はその恩恵を受けて居るように見えますので、敵対するのは妥当では無いと思っています。」と。
当を得たのであろうか?それを聴いた後は柔和な眼差しになってくれた。その後の話題が何か?御仁の名前は何か?をメモすることすら忘れていたような全く思い出せないほどの強烈な印象だった。
蛇足ながら学生時代に米軍岩国基地のFEN(極東)放送を聴いていた。その時に「日本人を理解する上で参考になる本:イザヤ・ベンダサン氏著作の『Japanese and Jew (日本人とユダヤ人)』を紹介していた。後日、本屋で見つけたので買って措いた。その頃の若輩者の私は日々の享楽に興味津々で、「日本人とはかくあるべし」とか「過去の戦争の実感」とかいう自覚が乏しかった。が10年程経過して、出張から帰宅後、詳しく読んだ。
海外に出かけると「何処の国の人か?」が一番の注目の的になるようであります。国会議員でもないのに政治経済の意見を求められることもある。その自覚を新たにしたものです。
扉の無いエレベーター:
RB 社のとある工場を訪問した時のこと。エレベーター乗り場に来たら扉が無い。出入り口のような四角い空間が左右に二つあって、右手の方ではロープで数珠繋ぎになった大人二人が入れるほどの箱が下方から次から次へとやってきて上方へ昇って行った。止まってくれない! 片や左手の方では箱が上方から降りてきて止まらず、下がって行った。同行した案内人は「タイミングを上手く合わせて飛び乗れ!乗ったら行先の階で飛び降りろ!失敗したら天井と箱の底に挟まれて死ぬよ!」と。子供の頃に遊んだ大縄跳びを思い出しタイミングを合わせる練習をすぐさま実施した。そしてどうにか乗ることができ、降りることもできた! 何というスリル!
第二次大戦中、事務所と現場の移動の時間を節約する為にこの工場ではこのようなエレベーターを導入したのだそうだ。エレベーターを待つ時間が無くストレスフリーな素晴らしいシステムだった。が、戦争終了とともにこの方式の新しい建設は安全上の見地から禁止されたそうである。
工場内設備のスケッチ:
工場見学の際には技術提携先と云えどもカメラ撮影は拒否された。それ故、重要な工程や機械装置は全てスケッチを試みた。見学に少々時間が掛ったが案内人は小生の描画の様子をニコニコしながら見逃してくれた。帰国後上司に提出した挿絵、図解説明多数の報告書は誰かがコピーして関係者に配っていた。見知らぬ新人がそれを片手に見ながら機械の操作習熟中だったのを知ってほくそ笑んだ。見ると分かる出張報告書!
未完成は敗北に繋がる:
話は飛んで2001年。すでに転職して旧東ドイツの小さな町でインフレーターの工場を立ち上げるプロジェクトに参加した時の話。そこの新工場長M.K氏はドイツ国のAT社に勤めていた時に、米国に於いてABSの製造工場を立ち上げた実績があるとのこと。(小生は前職でその会社の競合会社RB社のABSを日本で立ち上げる仕事を経験していたのは奇遇だった。) 彼がその任務に就く際に本社の上司とのやり取りを話してくれた。「M.K君、ドイツが第二次世界大戦に負けたのは何故だか知っているか?」との質問に「要因はたくさんあったそうで話は長くなります。」と応えたら
「Uボートに塗るペンキが足りなくなったんだよ。だから多くの潜水艦が完成できなくて負けたんだ!それがあれば事情は異なっていたはずだ。君が米国で仕事するときにはボルト1本と言えども在庫切れすることなく用意周到に管理して措け。」と。未完成は敗北に繋がるのです。
「戦争は技術を加速する。」と言う言葉があります。欧米には軍隊やNATOがありその言葉は生きていて、米国はとりわけ若年層に技能・技術伝承の為にも10年~20年以内の周期で戦争を経ながら技術革新に邁進している模様。
それに対して日本は戦争を放棄してから久しいから「加速する」動機の一つがその国とは異なり「便利な社会、豊かで楽しい暮らし」が技術向上の動機となっています。
「日本は資源が乏しい。それ故、海外から原材料を購入し、付加価値を加えた製品を輸出して外貨を獲得して富を得るのが良い。」と学んだ。1980年頃までは日本はそのように頑張っていたと 思うのですが、コスト削減とか経済支援とかで仕事を分け与えた国が富を得て2023年の今では中国・韓国などが経済的にも軍事的にも脅威になっているのはご用心。それから推測すれば、人件費が安価だという理由で製造拠点を海外に移転しているのは最善策では無いと思うのは私一人であろうか?
将来の日本を背負っている若者にはそういう視点をも留意して措いて欲しいと思っています。
