OBからのメッセージ No.26
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豊嶋 幸卒業年度:1969年(S44年)
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豊嶋 幸卒業年度:1969年(S44年)
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表題
- マラソンで生まれ変わって、ハッピーは今年15歳
2023/07/15
昭和44年N自動車に就職し、鶴見、追浜、栃木、村山の実験部を転々とし、その後サービス、品質保証、部品の各部門で管理業務を担当した後、携帯電話にも参画するとの事で、四国出身の私に白羽の矢が当たり「デジタルツーカー四国」の立ち上げで四国(高松)赴任となりました。
「ツーと言えばカー」はN自動車が名付けた携帯電話会社でした。無事立ち上がり出向の身になりましたが、「デジタルツーカー」から「ジェイフォーン」になり「ボーダホン」と発展し続けました。この間、携帯の修理部門、法人営業部門、更にお客様センター長なども担当しました。
「ソフトバンク」に吸収される前に定年を控え、退職後も出身の四国で働くことを目指し、小さな新しい会社を見つけ再就職しました。創立後2年程度で100名ほどの会社でしたが、年々倍々と急速に拡大しました。
人事総務部門で採用も担当したり、その後携帯電話のショップ展開なども担当し、ずっと働いて欲しいと言われました。しかし、ここでの出来事が今の自分を決めることになったのです。
私の子供ほどの年齢の上司に結婚式に招待されました。この時毎晩のビールで張り裂けそうなお腹を抱えて、20歳代に購入した礼服が合わなく、体重は70kgを超え、みっともない状態でした。
「礼服を新調しようか?」と女房に言ったところ、
「礼服に合わせたら?」との言葉が返ってきました。「そう言えば、職場でコナミに通っている人もいるよ」と言ってしまったのが運の尽き
「おとうさん、それ、それ!」。その日の内にコナミに入会させられました。以来一心にコナミに通い、担当者の言う通り18時以降の夕食は取らず、例え終電になっても、毎日トレーニングに励みました。お陰で2か月後の結婚式には、ぴったりの礼服で出席できました。実に2か月で15㎏ほどの減量に成功したのでした。
以来、調子がいいのでコナミ通いを続けていた1年後、「ホノルルマラソンに行きませんか?」とのポスターがコナミに張り出され、東京に住む長女がホノルルマラソンに行くとのことで、制限時間のないフルマラソンならと思い挑戦することにしました。コナミのトレッドミルにはホノルルマラソンのパターンも組み込まれており、一生懸命励みました。何と初マラソンのホノルルで4時間21分でゴールでき、皆から「凄いね!」と言われたのがマラソン人生の始まりでした。
マラソンなど苦しいスポーツは寿命を縮めるばかりで、一生するはずないと思っていた自分にとって、マラソン完走時の達成感が大きな喜びとなって練習に励むようになり、丸亀ハーフマラソンにも挑戦しました。その内電車通勤の片道はランニングで通勤するほどになりました。いつの間にかランニングの楽しみが毎日の楽しみになり、ランニング人生に突入してしまいました。
そんなある日、元栃木テストコースの後輩の定年祝いがあり東京に出かけることになりました。確か東北地方太平洋沖地震(2011/3/11)の直前でしたが、久し振りに乗った東京モノレールに「快速」が誕生していたり、関越自動車道の整備状況にも数年の進化ぶりに驚きました。
「そうだ!やっぱり東京に戻って来よう!」と思い始めました。マラソン大会だって、関東の方が一杯あり、東京マラソンにも申し込めるじゃないか!と言う訳で四国から東京の住宅情報を探し始めました。四国に移るにあたり子供たち3人に犬3匹を飼っていたため、犬小屋が作れる庭があることと、マラソンの後に始めたサックス練習のための防音室のある条件で中古住宅を見つける事ができました。
ところが、3人の子供たちは大反対でした。
「せっかく生まれ故郷の四国に帰れたのに、わざわざ東京に舞い戻って来るのは?」と言う理由でした。確かに住宅契約で上京した4月は地震の余震が有るばかりか、宿泊したホテルのそばの西友の商品棚にはほとんど商品が無い状況でした。不安が無い訳ではありませんでしたし、ずっと働いて欲しいと言われた職場も辞め迷惑をお掛けしましたが、
「自分で決めたことは正しい」と信じて戻って来ることにしました。この時の東京への舞い戻りをUターンでなく「小文字の“u”ターン」と言う事にしています。
東京に舞い戻ってから12年、マラソンを始めてから14年になります。年金生活に加えパート勤務の他、地域の走RUN会にも入れてもらい、毎年数回のフルマラソンやハーフマラソンに出場し、まるで「マラソン病?」と思うほど楽しみました。60 歳から始めたマラソンですが、68歳まではタイムが伸びました。東京マラソンにも4回出場できましたし、「サブ4」(4時間を切る走行)も数年続ける事ができました。「全日本マラソンランキング」の年齢別では5年ほど全国100位以内に入れました。「60歳という遅い年代に始めたのが良かったんだよ!」と言われ嬉しくなっていました。
6 年前に軽い脳梗塞になり、10日ほど入院しましたが、担当医の先生から「あなたは走っているから軽かったんだよ!」といわれ、退院後1か月で「松本マラソン」を完走しました。

6 年前に軽い脳梗塞になり、10日ほど入院しましたが、担当医の先生から「あなたは走っているから軽かったんだよ!」といわれ、退院後1か月で「松本マラソン」を完走しました。
この間、走り過ぎによる足の怪我にも悩まされました。座骨の疲労による剥離骨折で半年間走れませんでした。走れないので、ずっと歩き回り、新たな発見に出会いました。
下を向いて歩いていると何と「マンホール」に興味が湧いてきました。しかもカラーの物もあり、マンホールカードの存在を知り、ついにマンホールカード収集に嵌ってしまいました。現地に行って無料で貰えるカードですが、郵送しては貰えません。現在全国900ヶ所以上のマンホールカードが配布されています。女房とドライブ先で貰ったり、マラソン大会に行ってはマンホールカードをゲットするなど少しずつ集め、関東や中部地方中心ですが250種ほどになりました。
長く住んでいた四国のマンホールカードがまだまだ未収のため、また里帰りの機会にゲットしようと思っています。

それらの他にも趣味を持っています。
子供のころから続けている「切手収集」は日本の切手以外に「ディズニー切手」に嵌り、最も費用のかかっているものです。
他に「男声合唱」はパート先にボランティアに来ていたところを入れて貰いました。声を出すことは健康に良いので、続けたいと思っています。
また「ビールっていいな!友の会」や「大人の塗絵」も楽しんでいます。サックスだけは6年前の脳梗塞の後遺症で口の周りから息が漏れ中断中ですが、アルトサックスとテナーサックスは手放さないで復活を夢見ています。
でも、最も時間がかかっているのはフェイスブックでしょうか?
趣味の数が多すぎると言われますが、子供のころには9科目も一緒に勉強していたので、まだまだ頑張るつもりです。4日/週ですが午前中パートの後、スポーツジムに通い10kmほどのジョギングをし、マッサージを受け夕方帰宅すると言う健康的な毎日を送っており、中々忙しいです。マラソン大会の参加料や趣味のために費用が掛かり、定年の無いパートは可能な限り続ける予定です。
「人生100歳時代」と言われ久しいですが、100歳当たり前、目標を120歳に上げました。60歳で折り返し現在15歳です。マラソンで言えば、中間点を超え27km付近です。これまで120レース程になりますが、これからも楽しく頑張って行こうと思っています。
東京に戻ってから結婚した娘たちは今では大喜びで、近くに住む孫たち4人とはいつも一緒です。良く思い切った“u”ターンができたな!と思っています。結婚式に招待してくれた上司と「礼服に合わせ」と言った女房に感謝です。 生まれた時から名前の通り「ハッピー」でした。