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OBからのメッセージ No.41

  • 第9期 機械工学科
卒業年度:1975年(S50年)

  • 第9期 機械工学科
卒業年度:1975年(S50年)

表題

  • 誰も知らない プロジェクトtiny-x456 インフレーター編

2025/8/31

 

今回はインフレーター(自動車用エアバッグを膨らませるガスを発生する装置。本文では以後"Inf."と略す)の話をします。1990 年に転職した会社の米国の一つの工場に於いては 1995 年頃まで初代 Inf.のガス発生材料としてアジ化ナトリウム(毒物)を使用していました。それは人体に皮膚からも浸透し体調異常を誘発、経口摂取すれば即座に中毒又は死、燃焼排ガスも大量吸引で有害な代物。

小生がそこへ1994 年の夏、赴任しました。後述する本来のプロジェクトに併せて、上記工程の改善チームに加えられました。現場に入る際には防護服を着用する決まりでしたが、繰返し使うと微量の粉塵が付着して、着替える時に手指や肌にそれが付着し、毒物成分が皮膚から浸透して30分程で血圧が低下、目が充血し倦怠感を呈するような体調不良になるのでした。

そこへ派遣した上司曰く「非アジ化は喫緊の課題、迅速な対策がマスト!」

 

■Side Inf.の開発へのアドバイス

最初に参画したプロジェクトは人体に無害な第二世代のプロペラント(前述のInf.に組み込まれるガス発生剤)が使われる運転席側Inf.の組立ラインを作ることでした。それを立上げた後の1996年の初秋、次なる助手席側Inf.の組立ラインを検討していた頃の話です。

小生とは別のプロジェクトで働くT.Q氏は、同じく第二世代のプロペラントを使ったSide Inf.の開発を担当していました。それは車の運転席及び助手席の肩部分に内蔵し運転席と助手席の空間を保護するエアバッグに組み込む機器であり搭載部位の寸法が極めて小さく制限されていました。

 

彼は南ベトナム出身でその地の戦争の後に生まれ、難民として米国に移住し大学教育まで支援されたそうで25歳くらいでした。顔つきが日本人に似ていました。

小生は当時42歳でしたが、アメリカ人から見ると未成年にも見えたそうです。スーパーでお酒を買う時やレストランで酒を注文すると身分証の提示を求められたり、五島みどりがバイオリン演奏予定のデトロイトオーケストラホールを訪れた時には受付で「学生証を見せてくれたら学割できるよ!」と言われたのには驚き、桃ノ木、山椒の木。そういう風貌なので、赴任した時に気軽に声をかけて来たようです。彼が現地の仕事や生活の知恵や秘訣などをいろいろ教えてくれたお陰で、会社でのコミュニケーション手法や現地の生活にもすぐに馴染めました。

 

そんな中、彼の仕事の様子を尋ねたら「プロペラント錠剤(Φ5×t3mm程)を直径Φ12mm 程で深さが 80mm 程の容器に規定量を充填したら表面までの空間が6~15mm とバラついて安定しない。押さえが不完全だと製品を座席に装着した時にカラカラ音が出るので、錠剤表面を押さえて安定させたい。圧縮コイルバネでは残り空間と振動後に沈む量の差が大きいので長尺バネを入れる必要があるが、最初の面が浅い場合には蓋が撥ね上げられて容器の縁取りのカシメが出来ないので困っている。良いアイデアは無い物か?」と窮状を訴えて来ました。

 

「ピ~ン!」と来ました! エノコログサ(=狗尾草)をご存じでしょうか? 猫の前で振り回すとじゃれついてくるアレ(俗称:ネコジャラシ)です。猫と遊んだやり方とは別の、子供の頃の遊びを思い出しました。現地工場の近くに夏場生えて残っていたのを摘んで来て、手で掴んで強く握ったり緩めたりしながら穂先から茎の方向へ移動する様子を見せました。「この草の構造と原理を利用できたなら、振動や外力で戻ることなく同じ方向へ移動するよ。浅かろうが深かろうがお構いなしさ。そして錠剤の表面を巧く押し付けてくれること請け合いだよ。」

その草の穂先に見られる構造の要点を板金加工に適した絵に描いてみせました。彼はそれをすぐに図面にして試作品を作って試しました。なんていうか、実に巧く行ったのでそのまま製品化出来たようです。(誰も知らないプロジェクトtiny-xその④)

 

その成功に対して彼は工場長から特別昇給を頂戴したそうで、それを知らせてくれた日の昼食を御馳走してくれました。日本でもそんな昇級システムがあったならと暫し羨む次第。

 

その数年後設計部門が米国東南部のジョージア州の工場に集約された処、アジア人の彼は人種差別が激しいことを打ち明けたことがありました。その話を聞いた時に「法律で禁止されているんじゃないの?」と返して見たものの、「貴殿はアジア人だが総括の日本の会社から来ているので社内で差別を感じることは無いだろう。だが私は違う、仲間や後ろ盾等何も無いベトナム人だ。町中でも社内でもここでは白人にも黒人にも味方はいない。」 悲しい話でしたがそれを理由に退職し、人種差別が少ないと言われる北部の会社に転職していきました。

 

因みに彼はN社のピックアップトラックを愛用していました。米国の若者の多くがそういうのに乗っていたので、理由を尋ねたら「若者や独身者は転職することが多い。その際に引越が伴うことが多いので、自分で荷物を運ぶためさ! 引越業者に個人で頼むのは高いんだよ。米国では東西を跨ぐような移動の場合に陸路では3日以上掛かる場合もある。」日本とは事情が大違い!

余談ですが、オナモミとかいう植物の種子が衣服にくっつくのを見た人がマジックテープを考案して織物・衣料業界の一隅で輝くことに成った話や、蝶の鱗粉を研究応用して自動車業界や繊維業界の新しい塗料を開発した話とか、猫の毛繕いに舌表面の突起が貢献していることから掃除機のごみ集めに応用した話等々、動植物の形態を参考にした工業化の例はいろいろあるようです。

 

■プロペラントの新しい製造方法への挑戦

次の話題は2001年に旧東ドイツのFreibergでサイドInf.の生産を立上げるプロジェクトに参画していた時の話。

Inf.は製品分類では火薬類に属する処、新規事業者には許可がほぼ下りないために、現存企業の事業拡大の一環として製造することにしたそうです。生産に関しては現存の花火製造会社(=SFW社)の敷地を借り、空き倉庫を工場にして製造設備を米国から供与し製造ラインを準備しました。そして我が社の目論見はまず生産を始め、需要に応じながら追って新しい工場を建てる手筈。

SFW社の分担は上記の敷地提供及び第二世代のプロペラントの製造でした。

 

そのSFW社の社長Kn氏はそのプロジェクトに先行して米国工場を訪問し、第二世代のプロペラントの製造手法を学んでくる手筈でした。

8 月のキックオフ・ミーティングの席上、プロジェクトメンバーと業務分担の紹介がされていく中、Kn氏の順番になった時に「すまない!俺にはできない。米国の会社を訪問して教わるはずだったが、彼らは詳しいことは教えてくれなかった。どうすれば良いのだろう?」と涙しながら告白してきました。

さて米国工場の実情は、「工程はシンプル、設備は安価で製造コストは安い。が、性能のばらつきが大きくて品質は良いとは言えず、関係者は日々奮闘していた模様。」 それ故「教えることなど烏滸おこがましいので辞退した。」と推察しました。

プロジェクトリーダーで初代工場長の M.K氏は「そのプロペラントの製法を知っているのはここではMr. Sanoだけだ。だから巧く指導してくれ。」という成行。

 

小生は内心小躍りするような気分でした。元同僚達が教えてくれた知恵や品質改善への思いをここで実践できる絶好のチャンスが到来したからです。そこで学んだ改善に向けての会話の記憶:「工程数は増えるけれども理想的な製法と管理の要点」を請売りながらも伝えて、それに見合う設備や器具の選定をお願いしました。

Kn氏はその分野の設備に詳しかったので社内の設備を流用するとか、無いものは最適なものを購入し製造工程を作り上げ、プロペラントの品質を狙い通りに制御できる生産を始めることができました。(誰も知らないプロジェクトTiny-xその⑤)

 

余談ですが、花火に関する法律が日本と大きく異なっていました。それは個人が楽しむ花火は一年に僅か一日(大晦日の深夜から年明けの瞬間)だけ使用が許され、販売は 12 月の一ヶ月だけ許可されるというもの。それに向けて一年間製造して倉庫に保管しておき、12月になると市場に向けて大型トラックが連日在庫品を運び出すのでした。それ故SFW社の現金収入は一年に一度だけでした。ですから、我々の会社が間借りすることは毎月の収入につながることから大歓迎でした。

 

■Inf.品質検査手法の改善

ところで Inf.の品質は実際に起動させて性能を試験するのですが、一度起動させると製品としての役目は終わります。それ故、“合格“と判定できても出荷する現物は無くなるのが泣き所でした。そこで抜取り検査を基本に、生産開始直後の品物を高中低3つの温度条件毎に3個ずつ合計9個を試験して標準偏差値(算出の為にデータが少なくとも 3 つ必要)を求めて判定をしたのです。その手法を LAT=Lot Acceptance Test=ロット許容検査 と呼んでいました。その判定が出るまでの間、製造は待機状態。LAT の結果、不合格があればプロペラント充填量を増減調整して試験供試品を組立て、再びテストし、合格に成ればその条件で製造を続行することが慣例化されていました。それはしかもプロペラント製造ロット毎に実施するものでした。 

 

しかし残念なことに、その地に性能試験装置は未だ無かったのです。それ故、当面の間は1週間に一度その週の試験供試品5日分を旧西ドイツのInf.製造拠点まで車で3時間掛けて運搬し、2時間掛けて試験して結果を報告してから帰社することに成りました。さて判定待ちの初めての製品は4,000個ほど。抜取り検査を前提にしながらも、毎日の対応が出来ないので大博打です。で、結果は不合格。

 

不具合の原因はプロペラントであることが明白でしたから Kn 氏はその責任を感じてか大泣きました!毎月の収入を当てにしていた会社にしてみれば、万一弁償を迫られたら大きな痛手になることは明白。 そこでまた小生へ矛先が向けられ「何とかしろ!」と。その工場長は楽で良い。こんな言い方で動く部下が居たのだから。

 

過去の経緯いきさつを踏まえ、Kn氏に次の様な話をしました。 「製品を完成して性能試験をする手法では部品代とか組立工賃を考慮すれば高額になる。プロペラント単品の性能試験をするなら、良品を確信して出荷できる。費用はその材料代と最小限の工賃だけで済むし、出荷製品のロスが減る!」と。 すると驚きの回答、「花火用火薬の単品の性能試験装置は現有しており日々活用している。」と言うではないか! それこそまさに渡りに舟だ!

 

「不合格になった物と、良品側に偏差しそうな3種類のばらつきのプロペラント単品とそれを製品に組み込んだ完成品で性能試験をして相関性を比較し、結果が芳しくない場合にはまた別の三つの条件で試そう。その結果から製品の性能で規格中央値に近い物を今後生産しよう。」と提案しました。

 

で、結果は上々。Kn氏は狙い通りの品質のプロペラントを安定して作ることに成功しました。その後9月から12月まで小生が滞在中、LAT検査結果は偏差に乖離もなく毎日理想的最良の品質!これは米国の会社をはるかに凌ぐ結果となりました。 目出度し目出度し! (誰も知らないプロジェクト Tiny-xその⑥)

 

まぁ、どの結果も西堀先生の仰った「やってみなはれ!」とか、昔から言伝えられてきた「撒かぬ種は生えぬ」の教えの賜物だったことに感謝・感激・雨霰。

注意:その①,②,③は「No.39:誰も知らないプロジェクトtiny-x」を参照願います。 



運営からのコメント

エアバック開発のエンジニアとして活躍されていた頃に、OBならではの発想や知見が製品に繋がったお話です。本人はtiny-xと呼んでいますが第三者から見れば画期的なアイデアでありチャレンジで、正に「地上の星」です。 困っている人が居れば見返りを期待しないで助ける、それを当たり前の事としてやっている姿がカッコイイ。ぜひご一読ください。
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