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OBからのメッセージ No.34

  • 第15期 電気工学科
卒業年度:1981年(S56年)

  • 第15期 電気工学科
卒業年度:1981年(S56年)

表題

  • 高専時代を振り返って

2024 年3月6日

 

(はじめに)

昨年11月、関東ひうち会懇親会(11/17)に参加させていただきました。1期生の大先輩から 47 期生、鈴木現校長まで集まり、大変盛り上がって、改めて高専OBの絆の強さを感じました。

その関東ひうち会HPにある、この「OBからのメッセージ」コラムでOB方がいろいろな経験談などを投稿しているのを読み、私も少しでも現役高専生たちの参考になればと、筆を執らせていただきます。

局面によって伝えたいことも変わってきますので、小出しにはなりますが、高専時代や社会に出てからのこと、仕事のこと、近況などと回を分けて投稿したいと思います。

 

さて、新居浜高専を卒業してから43年、令和6年の今年64歳となります。その中のたった5年間の高専生活は、私にとって人生の中で最も濃縮された時間であり、自己形成の礎となる貴重な時間だったと感じます。そんなわけで、まず今回は高専時代を振り返って、その生活で学んだことや、もっとこうしておいた方が良かったと思うことなどを記します。現役高専生の悔いのない高専生活、あるいはこれから社会に出るにあたって、僅かでも役に立てば本望です。

 

(高専生活と学業)

入学したばかりの時期、5 年生の先輩は見上げるほど大きく感じ、ジャージで校内を闊歩しているのを見るともう「おっさん」にしか見えず、とても同じ学生とは思えないと感じたのは私だけではないと思います。

 

高専では基本的に低学年は全寮制ですが、愛媛中から集まっているため5年間ずっと寮生活する人もいれば、途中から下宿やアパート生活をする人もおり、私も高学年時には下宿生活も経験しました。ただ、部活やアルバイトをしたり、友人たちと交流をしていると下宿生活はほとんど寝に帰るだけで生活感がなく、今思えばあまりメリットは無かったかと思います。一人暮らしに憧れる年頃だったのでしょうが、結局寮にいた時のほうが色々と時間を有効に使え、仲間と充実した時間を過ごせたと感じます。

 

学業については、建前上学生の本業なので、あまり大きな声では言えませんが、クラブ部活動やアルバイトに明け暮れて、あまり熱心だったとは言えませんでした。

テスト期間などでも気にせずバイトを入れ、寮に帰ってきたあとでも自分のテスト勉強そっちのけにして、試験勉強に懸命になっている同級生にラーメンやらなんかの夜食を作って手間賃を稼いでいたこともありました。当然成績は芳しくなく、もう少しまじめにやっておけば良かったと反省しています。

 

ところで、仕事に就いて即刻役立ったのは統計学です。技術系に限らず基礎的な科目ですが、最初に配属された研究開発部門では、いろいろな実験で採ったデータを分析したり実験計画を立てたりするために役立ちましたし、その後検査部門、製造部門、生産管理部門、営業部門と仕事が変わっても、検査データの集計分析や工程分析、売上分析と、どの部門でも統計学が活用でき、結果が出しやすい学問です。ただ、固定観念や偏見、間違ったサンプリングなどで誤った結果を導くことがあるので、実務で使うときはよく注意する必要があります。とにかく、どんな仕事をするにしても、身につけておいて損はない科目だと思います。

 

もう一つ、もっとまじめにやっておけばよかったと思うのは紛れもなく語学です。他のOB方のメッセージにもありますように、在学当時は外国に行ったこともなければ、外国人と話す機会もなかったため、外国語の必要性を痛切には感じていませんでした。確かに就職してしばらくは外国との関わりはなかったのですが、仕事の幅が広がってくると、海外企業と会議する場面も生じましたし、外国の企業と提携したり、海外に関連会社が出来たりとだんだんと国際的になってきました。

 

このような時、通訳がいても専門的な話、気持ちや思いなどは、なかなか真意が伝わりにくい。実際に海外の工場に作業指導に行った時も、手順書で通訳を介して説明するよりも、作業者に直にマンツーマンで身振り手振りで教えたときのほうがよく理解してもらえました。ボディランゲージを交えてでも直に現地の言葉で話し合えるのが大事と思います。 と言う訳で、今は必要ないように感じても、英語を始めいくつかの外国語は、いずれは役に立つときがくる、と思っておいたほうが良いでしょう。とは言っても、普段使わないとなかなか身につかないので、外国人の友人を作るとか、そうしたコミュニテイーに参加するとか、一歩踏み込んだ工夫が必要かも知れません。

 

(クラブ活動)

体育系の部活をやりたかったけれど、既存のポピュラーな部では先行している人たちとのギャップもあり、何か新しい部活動があればと考えていました。1970年代は青春ドラマが流行っており、中でも中村雅俊の「われら青春!」などの影響もどこかにあって、数名の有志で当時新居浜高専になかったラグビー部を作ろうということになり、まずは仲間をかき集めてラグビー同好会を作ったのが2年生の時。S社殿のグランドへ通い社会人ラグビー部に指導してもらっていました。

 

翌年(1978年)に部に昇格しましたが、試合経験を積もうと、東高、阿南高専、弓削商船など他校との対外試合を組むも、ノーホイッスルトライの連続、まるでバスケットの点数のような大差で負けてばかりでした。

とにかく体を作ろう、パワーをつけようと、寮の食堂では食事時間の最後のほうに行き、余りご飯や余ったおかずを貰ってたくさん食べること、筋肉質の体にするため、数名で近くの銭湯へ行き、(今から考えるとかなり迷惑だったと思いますが)サウナで汗をかきながら腹筋・腕立てなどの筋トレをしていたことなどが思い出されます。

新居浜高専ラグビー部は2008年度末で廃部になったと聞き、とても残念に感じましたが、部として 30 年間続き、全国高専大会にも数回出場することができたそうで、創設メンバーとしては後輩たちの努力には感服するとともに、新居浜高専の歴史の中に少しでも足跡を残すことができたことに誇りを感じます。

ただ、先輩がいなかったこと、私としては就職先が関東のため、その後ほとんど後輩との交流ができなかったこともあり、当時の先輩後輩のつながりが希薄だったことが悔やまれます。

 

ところで、個人経営の小さな会社や職人の世界は別としても、ある程度の規模の会社に入ると組織的な対応能力を求められるようになります。個人の技術・技能だけでなく、協調性やチームワーク、コミュニケーション能力、社会や組織のルールや文化の受容。また、ある程度の立場になると、部署を率い、まとめたり指示するリーダーシップも求められます。クラブ活動では、チーム全体の苦労や喜びの共有、一体感、達成感・充足感などを通じて、こうした組織や社会への適応力を身につけることができますし、苦しさ辛さを乗り越えることで克己心を養成しメンタルを鍛えることができます。こうしたことを経験してきた人は組織力の大切さを理解できていますし、仕事や人生の壁にぶち当たったときでも何とか乗り越えて行こうという意志と力を持っている人だと思います。

 

私も仕事上、会社で新卒や中途の採用面接を行うことがありましたが、面接で応募者に必ず聞くのは学生時代のクラブ活動についてで、採用して伸びそうかどうか、皆と上手く行きそうかどうかの指標の一つとしています。 そういうことで、限られた学生時代の一節として、もし何もやっていないとしたら文化系でも体育系でも良いですから、何かクラブ活動に参加されることをお勧めします。

「青春」と呼べる時間は、もうあと少ししかないですよ。

 

(アルバイト)

在学中はとにかくアルバイトをいろいろとやりました。

一つには土木関係、いわゆる「土方」。前述のラグビー部創設前の同好会時には部費もなく、ボールやユニフォーム、タックルマシーンなど自分たちで調達するために、それぞれアルバイトをして少しでも部費の足しにしようとしました。そこで、長期休みなどに「収入が良く、体力づくりになる」一石二鳥のバイトとして、このような仕事を選びました。国道11号線の山沿いの法面工事。夏休み、炎天下で朝から晩まで角パイプやコンパネなど建設資材を担いで山の斜面を上り下りする体力仕事。自分より小柄でかなり年配の痩せたお爺ちゃんが、私の倍くらいの角材を担いで、ひょいひょいと斜面を登って行く。負けじとついて行きましたが、こちらは夕方までにはすっかりバテてしまい、「無理しないほうがいいよ」と涼しい顔で言うお爺ちゃんの、にやにやした顔が妙に恨めしく悔しかった記憶があります。

 

工務店のアルバイトでは、大工さんの助手で家を建てる仕事を何件か経験しました。基礎工事ではネコ(一輪車)で砂利を運んでいてひっくり返ったり、ランマー(転圧機)に振り回されたり、腕力だけでなく、結構バランス感覚が重要と感じました。ハッカー(結束工具)と番線での鉄筋組みでは締めすぎて番線が千切れかけたり、コンクリ打ちでコンクリを沈ませるのにコンパネを叩くのですが、強く叩きすぎて型枠が開きかけたりと、よく怒られていました。基礎が終わると、建方、建前(上棟式)、内装、外装と続きます。建前の日は仕事が半日くらいで終わり、お昼はお振舞いでごちそうが食べられ、たまにお土産まで貰えて、一番楽しみにしていました。こうして、何もない土地だけの状態から、家が一軒出来上がって行くのを見ていると、そこで暮らすであろう親子の生活、団欒などが頭に浮かび、「ものを作るということは、人々の幸せを作ること」なのかなと、体を張って物を作ることへの「やりがい」を感じたものです。

 

飲食店のアルバイトでは、厨房での仕事、いわゆる皿洗いのバイトでしたが、1階が喫茶店、2階がパブをやっていた洋食系の店で、パスタ料理やグラタン、唐揚げなどの他、ベシャメルソースやマヨネーズの作り方、パセコンを作るときの包丁の使い方など、時間が空いているときには仕込みの手伝いや料理の仕方など教えてもらいました。料理が好きになったのはこの時の影響で、今でも自宅で唐揚げを作るときの味付けは、そこで教えて貰ったレシピのままです。

 

会社や工場では製品を作って売っても、それが顧客にとって良いものかどうかは作ってしばらく経ってからでないと分かりません。料理の場合は作ったその直後に、お客様が即座に旨いか不味いかきっぱりと評価します。ちょっとした手抜きや味加減、火加減のミスが即刻評価されるシビアな世界だと思います。逆に、お客様が料理をおいしそうに食べ、楽しそうに歓談しているのを見ると、これもまた人に幸せを与える仕事かなと感じました。

 

4、5 年の頃には体力仕事に代わり家庭教師をやることが増えました。小中学生相手に週1~2回、1~2時間くらいを数件掛け持ちで行っていましたが、ただ当時は、この子らに本当に家庭教師って必要なのかなと思いながらやっていた気がします。当時はあまり受験戦争とか進学塾といったイメージはなく、比較的のんびりした時代だったかと思いますが、家庭教師を雇ってまで子供を勉強に拘束するなんて、遊び盛りの子供が気の毒に感じたものです。

小中学レベルですから、内容的にはそれほど難しくはないのですが、知らないことを分かるように教える、というのは結構難しいときがあります。細かくかみ砕いて、分かり易い例え話を交えて、時には漫画やアニメを持ち出して説明するなど、相手のレベルに合わせた説明の仕方が必要です。この影響か、今でも部下に何か教えるときは、教え方が細かすぎて、「しつこい」と思われていないか気になるときがあります。 

 

この他、低学年時には年末に、当時まだ新しかった「フジ」の催事売り場で「いらっしゃい、いらっしゃい! 新巻鮭安いよ~」と声が枯れるまで大声を張り上げて新巻鮭のたたき売りをしたり、高学年時には、新居浜初でコンビニの先駆けと言える「ナイトショップいしづち」に入り浸っていて、バイトではないけれど、自動販売機用ハンバーガーの梱包など手伝ったりしていました。また、イベント関係の仕事では、中島みゆきが文化センターにコンサートに来た際には、市内走り回ってビラ貼りしたり、当日の警備係をしたりもしました。中島みゆきが会場に入る際の警備として入場ルートに配備されたので、本人を見ることが出来ると期待していましたが、実は別のルートからいつの間にか入場しており、我々はおとりだったと気づき、純真な学生としては「大人のずるさ」を痛感した思い出があります。

 

アルバイトとは違いますが、今も高専のカリキュラムに残っているとすれば、「企業実習」で職業体験する機会もあるかと思います。私の場合は、大阪の冶金会社へ実習に行きましたが、そこでは粉末冶金の「接点」を作っていて、金属の配合や焼結条件を変えて求められる性能に合わせた接点を試作し、実験で性能を検証・評価するという経験をさせてもらいました。工場での仕事はこれが初めてでしたが、担当してくれた方々は皆親切で、まだ世の中の工業製品のでき方も分からない学生に丁寧に指導してくれましたし、仕事が終わって焼き鳥を食べに連れて行ってもらったことを覚えています。

 

偶然にも高専を卒業して入ったのが電気機器の「ブレーカー」を作る会社で、その性能を左右するのが「接点」でした。一般に接点の配合や生産条件の詳細は企業秘密で、この実習の時は、まさか「接点」を使う仕事に就くとは思ってもいなかったため、そうした企業の持つノウハウを深くは考えていませんでした。事前にもう少し勉強してから行けば、もう少し得るものがあったのではないかと思います。もし在校生の皆さんが企業実習に行く機会があるならば、ただ漠然と行って言われた通り実習して帰ってくるのではなく、事前にその企業のことやどんな技術を持っているとか、実習で学ぶ内容を調べ、勉強してから実習に望むことをお勧めします。ただ「企業実習に行った」だけで終わるか、「普通触れることが出来ない企業の固有技術に触れることが出来た」と感じるかは雲泥の差です。

色々とアルバイトする中で、工務店や厨房の人からは何回か、「学校出たらうちに来ないか」と誘われたりもしました。さすがに高専を卒業するなら技術系の仕事につくべきだろうと思っていたので、そちらの道には行かなかったのですが、本音を言うとどの仕事も面白く、やりがいがありそうだと感じていたので、ひょっとすると今頃大工か料理人をやっていたかも知れません。

 

上記のように色々な仕事の世界や社会の機微を体験するのは、将来目指すものを見つけたり、職業を選んだりする際の物差しになりますし、その後の人生においても自信と励みにつながると思いますので、可能な範囲で経験してみるのがよろしいかと思います。

(でも、バイトしすぎて勉強をおろそかにしないように。経験者より)

 

(国領祭)

何といっても、新居浜高専の思い出の一番は国領祭です。前夜祭、体育祭、文化祭、後夜祭と1週間近く盛り上がるお祭りは高専ならではで、各クラス・各クラブが出しものや創作物、模擬店などを競って準備していました。この歳になっても、毎年金木犀が香る時期には、放課後や休日に国領祭の準備に走り回っていた時のことを思い出します。

 

1 年生の時は、国領祭ってどんなことをやるのかと様子見でしたが、2 年の時は他のクラスに負けず何かをやらないとと、演劇に挑戦。その数年前に上映された、ダスティン・ホフマンとスティーブ・マックイーン出演の映画「パピヨン」を脚本化し上演しました。3 位(?)に入賞はしたものの、校長賞は取れなかったので、3 年生の時は自作ストーリーの脚本を書き、自らも出演して校長賞を獲得。味を占めて4年生もオリジナル脚本で、効果音などにこだわり、オーディオマニアの音響係と色々な効果音を拾いにあちこち走り回ったり、クラスに女性がいなかため、女性役の声を同級生の彼女(?)にお願いしたり、皆で小道具を作ったりして劇を作成。2年連続で校長賞をとったと記憶しています。その時、審査員だったドイツ語の先生から「篠原の脚本はいつも暗いな」と言われたのが印象に残っています。 

 

校長賞という目標に向かってクラスの仲間同士が一体となり、それぞれの持ち味や特技を生かし、協力し合って成し遂げた、という体験は、高専時代の一コマとして一生の思い出になっています。

 

また、体育祭では棒倒しや騎馬戦など、ケガも覚悟の雄々しい競技もありました。騎馬戦では双方の軍は普通、相手の出方を見ながらそろそろと間合いを詰め、タイミングを見て交戦するのですが、私たちの騎馬は先手必勝・中央突破あるのみと意気込み、開始早々先陣を切って勢いよく飛び出しました。まだ開始直後、相手軍と味方軍の空間が広々と空いているところで、勢い余って足がもつれてしまい、一騎だけ派手に転んで自爆。全校生徒の大爆笑を受け、恥ずかしさで真っ赤になりながら、すごすごと退場したのですが、これが高専生活の中で一番恥ずかしい思い出です。人生、意気込みも大事ですが、力が入りすぎると失敗するという良い教訓になりました。皆さんも緊張したり、力んでいると感じたら、一旦リラックスしましょう。

 

(就職活動)

学科の中で情報処理の授業があり、当時コンピューターセンターで TOSBAC 3400という大型コンピュータの実習がありました。FORTRANで単純な計算をさせるのに何十枚ものパンチカードを使っていた時代です。まだ「パソコン」と言う言葉すらない時代で、端末を借りるにも順番待ちでしたが、「これからはこういうのが発達して行くんだろうな」とは感じていました。 ともかく、仕事に就くならコンピュータ関係が面白いかな、ということで国内コンピューターメーカー再大手の N 社ソフトウエア部門を受けることにしました。今でいう「IT」業界です。

 

ところが、中学時代の先輩から「上京するならうちの会社も見て行かないか」と誘われ、N 社の面接の前日、先輩が務めている電力関係の製品を作っている中小企業を訪問し、見学。当時の社長と昼食した際、「この会社に来ないか」と誘われました。大した才能や技量もないのに、都会の大きなビルで、スーツ着て大勢の社員としのぎを削りながら仕事をするより、こうした小さな工場でも、目立たなくとも世の中の役に立つ品物を自らの手でこつこつと作り上げる、という仕事の方が性にあっているかなとも感じました。

 

結局、天下のN社の面接で、「実は昨日、別の会社の内定が決まりました」と言いきって、今の会社に入った次第です。入社直後には、会社の奨学制度で芝浦工業大学の機械工学科(二部)に行かせてもらったり、神奈川県中小企業対象の海外研修に参加したりなど、就職してから多くのことを学び、経験し、今に至りますが、その時の自分の選択に後悔したことはありませんでした。

 

在学生の皆さんは将来、家業を継ぐ方、地元で働きたい方、都会に出て働きたい方、あるいは、色々な仕事を経験してキャリアを積みたい方、一か所で腰を据えて勤め上げたい方、心に決めた職業がある方、まだ自分の目標とかやりたいことが定まらない方、様々でしょうが、どんな選択であれ選ぶのは自分ですし、その結果は自分が負うもので、人に文句を言う事は出来ません。自分の将来が漠然としている人も多いと思いますが、自分のやりたいことや夢は何だろうか、実力や適性はどうか、得意なことと苦手なことは何か、志望する会社や仕事は自分にどれだけマッチしているだろうか、世の中はどういう方向に動いているのかなど、ゆっくり考えながら決めて行けば良いと思います。その時に、会社の知名度とか規模、給料の多い少ないだけでなく、会社の雰囲気、文化、やりがいがありそうか、将来性がありそうかなど、いろいろな視点で調べてみると良いと思います。

 

あと、在学中にとれる資格は極力取っておいた方が良いです。高専の履修内容によっては学科免除などの優遇がある資格もあり、あるいは卒業後、実務経験を要するものもあります。最初に資格を持っていれば就職にも有利ですし、その後でも給与や職種、待遇面で有利な会社も多いです。

 

(最後に)

高専の5年間は長いようで短いです。勉強でも課外活動でも、級友との交流でも、アルバイトや遊びでも、とにかく後で振り返ったときに後悔しないように、1 日1日を大切にして高専生活を送って下さい。

また、級友や部活メンバーなどとのつながりは一生もので、これも大事にしてください。こうした人脈は一生の自分の財産になります。



運営からのコメント

高専時代の学業への取組み、クラブ活動、アルバイト、国領祭、就職活動などを振り返りながら、社会では何が活きたかを語っています。 何でも出来ると思っていた学生の頃のエネルギーや笑い声が聞こえてくるようです。ぜひご一読ください。
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