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OBからのメッセージ No.38

  • 第3期 工業化学科
卒業年度:1969年(S44年)

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卒業年度:1969年(S44年)

表題

  • バングラデシュで不思議な体験 船舶解体現場とヤクザの親分、山賊に遭遇、富豪の結婚式

2024/09/27

 

今からもう12年前、東日本大震災の翌年、知り合いの機械メーカー会長とバングラデシュを訪れました。目的はこの機械メーカーが製作する廃電線リサイクル機の市場調査、大型船舶解体と解体して取り出された廃電線処理の現場視察、ベンガル湾に面したチッタゴンにその現場があります。

 

解体した船舶はスクラップにされ、製鉄所のないバングラデシュの大切な工業原材料。土木建築用の鉄筋や鋼材は、この船舶解体スクラップから作られますから、船舶解体業は国の重要産業です。

 

(一日目)6月某日、機械メーカー会長と成田空港を出発、乗り換えのシンガポール・チャンギ国際空港から首都ダッカのハズラット・シャージャラール国際空港まで2 時間。空港でバングラデシュ人Sさんに出向えてもらい夜遅くにホテル着。

※Sさんは日本在住のバングラデシュ人。CI商事に勤める私の知人ルートで面識持ち、たまたま親戚の結婚式で帰省する予定があり我々の日程もそれに合わせ、ガイド兼通訳をお願いしました。

 

(二日目)予め予約しておいたJETROダッカ事務所を訪れバングラデシュ事情をヒアリング。次にローカル機械商社も訪問、後はダッカ市内観光。 

 

市内は乗り合い三輪車が行き交い、バスは接触キズで車体はデコボコ、街角には一時代昔に日本で見慣れた赤い郵便ポストもありました。街の通りは多くの人々で溢れ、道路には近隣の農家が屋台を並べ、米や野菜、果物、魚などを売っている。鮮やかな色に染められた織物を売る屋台もあり、路上では様々なものが売られていました。熟れた試食のマンゴーやライチはたいへん美味でした。

 

多くの人々は食糧や日用品を路上の屋台で買うことが多く、バングラデシュのGDPは低くて最貧国といわれますが、地下経済が盛んで公表された数字よりはるかに豊かだと、Sさんの話しです。 

 

その夜はSさん親戚の結婚式のイスラム式前夜祭、その席に招待され歓迎されました。聞くと前夜祭は何度もあるらしい。

 

(三日目)ダッカから200km離れたチッタゴンまで飛行機で移動し、大型船舶解体現場の視察です。世界の海を行き交う貨物船や客船も最後は解体される運命、チッタゴンは船舶解体のメッカです。解体される大型船は、満ち潮のときにベンガル湾の遠浅の海を海岸に向け全速前進、船底を海底に擦りながら海岸近くまで猛進し座礁。潮が引くと座礁した船は海底の泥に聳える高層建築物のようないで立ち。その船に作業員がよじ登り、ハンマーや溶断トーチ使って手作業で解体するのですが、大変危険な仕事で死亡事故は頻繁と聞きます。

 

因みに、第二次世界大戦後は、世界の貨物船や軍艦の多くは浦賀など日本の造船所で解体され、日本が経済成長するにつれ、台湾、香港に移り、今はバングラデシュで、という経緯です。 

当地の船舶解体ビジネスは、現地“ヤクザ“の親分が仕切っており、解体現場見学(写真撮影禁止)の後は親分のご自宅を挨拶訪問、廃電線リサイクル機を紹介し、美味しい茶菓子で歓待されました。

 

その親分の家は、海岸に近いヤシの葉拭きの家々並ぶ貧しい村に3階建て白亜の殿堂、トヨタランクルがニ、三台、用心棒らしき使用人が数名、ドーベルマンが鎖に繋がれており、“如何にも“の感。

 

バングラデシュ訪問目的の市場調査、船舶解体で得られた船内の電線は、解体現場近くの小屋で現地の子供たちが手作業で分解し銅を回収、日本の先端的廃電線リサイクル機は時期尚早でした。

この日はチッタゴンのホテルに一泊です。

 

(四日目)ガイド兼通訳Sさんの希望とお勧めもあり、車をチャーターして100km南、ミャンマー国境に近い国際観光地「コックスバザール」で一泊する予定です。 

ホテルで昼過ぎまで休息。午後3時過ぎにチッタゴンを出発、夕方になると村々を通過する度、夕食時の混雑で大渋滞。農村地帯を抜けジャングルに差し掛かるころには暗くなり、行き交う車もない寂しい国道をひたすら走りました。 

 

途中のドライブインで軽く夕食をとり更に南下、するとジャングルの中の国道、民家もなく“ひと気“もない真っ暗なところ、密林の中から一人の男が飛び出してきた。我々が乗った車は急ブレーキとハンドル捌きで男を避け、止まらず走り抜けました。後で聞いたところ、ジャングルの中には20~30人の山賊が潜んでおり、車が停まると一斉に飛び出してきて車をボコボコにし、金品を奪うとのこと。そんなこと私は”知らぬが仏“、運転手さんの絶妙なテクニックに感謝・感謝。

 

S さんが通訳する運転手さんの話では、山賊はロヒンギャといわれるミャンマー難民、政府の保護もなく山賊になるしか生きられない、とのことでした。想定外のハプニングあるも、夜中に無事コックスバザールのホテルに着きました。

 

(五日目)起床し海岸線の遥か遠くまで続く波打ち際を散歩、中国人観光客らも多く見受けました。2024年の現在、コックスバザールは、ロヒンギャといわれるミャンマー難民の収容キャンプとして知られますが、当時はまだそんな様相はなく、のどかで平和な観光地でした。しかし、そのころからジャングルに難民の山賊が潜むのですから、ミャンマーのロヒンギャ迫害は当時からあったものと思われます。

 

朝食後、タクシーで小さな平屋建てターミナルのコックスバザール空港まで行き、20 人乗りくらいの小型プロペラ機でダッカに向かいました。機は高度を上げ海岸線沿いに北上、機内からは今回見学したような船舶解体現場がいくつも見られます。世界の船舶解体のメッカ躍如たるもの、それらを昨日会った親分が仕切るのですから、バングラデシュの一面を生々しく知ることができました。

 

ダッカ空港到着後、Sさんに願われ空港近くのホテルで開かれたSさんご親戚の結婚式披露宴に出席。お祝いや服装も準備してなく固辞しましたが、普段着で出席しても失礼に当たらないとのこと、夜遅くに出発するシンガポール行き航空便に搭乗する時間までとし、お誘いに応じました。

五つ星ホテルの大ホール一杯の招待客で賑やかな結婚式。Sさんに勧められ壇上の新郎新婦と一緒に写真撮影、アラビアンナイトの世界のようでした。宴席で隣席した新郎の叔父はバラモン航空の元パイロット、成田空港へフライトしたこともあり、着陸前の富士山は印象的だったと。

 

そんなこんなで、いろんなことがあったバングラデシュ紀行。予め分かっておれば躊躇したバングラデシュ行きですが、無事に帰ることができ、今も印象深く記憶に残っています。  



運営からのコメント

十数年前、知り合いの機械メーカー会長とバングラデシュを訪問したときの話。 現場を仕切る大親分の大豪邸を訪問したり、車でジャングルを走っていて山賊に襲われそうになったり、まるでアラビアンナイトのような大富豪の結婚式に誘われたりと、普通の観光旅行ではとても味わえない経験をしたと、懐かしさいっぱいで語っています。ぜひご一読ください。
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