OBからのメッセージ No.31
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國貞 功卒業年度:1974年(S49年)
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國貞 功卒業年度:1974年(S49年)
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表題
- 会社の山岳部の思い出
2024/1/9
令和5年11月18日の懇親会の2日後、私の所属する山岳部OB会の解散パーティがありました。2020 年6月開催の予定がコロナで遅れたものです。最盛期には100名近い会員がいて、年1回の懇親山行(温泉と宴会付き)などを楽しんでいました。そういう中で会員の高齢化が進み、この世からおさらばした人も多くなってきました。そこで会員の元気なうちに解散しようという話になり、 2021年3月末で解散となった次第です。解散パーティ出席者は25名ほどでしたが、皆、40年以上の付き合いなので、話がはずみました。
OB会解散後は有志で同好会を作って、余韻を楽しもうということになっています。同好会の最初の山行として、「東京23区内最高峰の愛宕山に登り、帰りに芝公園で花見」という案も出ています。
高専時代を思い起こすと、
四国で登った山は赤星山(四国中央市)だけですが、
旅行を利用して、雌阿寒岳、羊蹄山(以上北海道)、磐梯山、九重山(大分)、永田岳(屋久島)などに登っていました。
工場実習の時の浅間山夜行登山の噴火口の赤い火も記憶にあります。
高専を卒業して、東京の会社に就職しました。同期に山好きの高専卒(他の高専)の人がいて、彼と一緒に、八ヶ岳、槍ヶ岳、剣岳、白馬、至仏(尾瀬)、飯豊(福島&新潟県)などいろいろな山に登っていました。この彼の兄が山岳部員だった縁で山岳部に入部しました。
もう40年以上前のことです。
山岳部での最初の雪山訓練は12月の谷川岳での雪中訓練で、そのあと1月の富士山での雪上訓練、2月の八ヶ岳と続きました。いずれの山行でも10人用のテントを背負うのは新人である私の役目でした。初めての雪山とめちゃ重いテントは結構応えました。それ以来、ある時は単独で、ある時は2,3人の少人数で、またある時は10人ほどのパーティでいろいろな山に登りました。
⚫南アルプス(北岳、間ノ岳、塩見、 赤石、聖、光、etc)
⚫ 上高地周辺(槍ヶ岳、北穂高、常念、蝶ヶ岳、餓鬼岳、etc)、
⚫ 後立山連峰(針の木、鹿島槍、五竜、白馬、etc)
など、どんどん登りました。八ヶ岳、秩父の山々にも行きました。
高山植物の咲き乱れるお花畑で癒され、やっとの思いでたどり着いた山頂からの360度の展望に感激し、ライチョウが飛ぶのを見て驚いたこともありました。
春山、夏山、秋山そして冬山と季節を問わず、山行三昧でした。

私は高所恐怖症的なところがあり、転ぶと転落するようなスリル満点の山道は苦手です。
岩登りでは、すぐに足がミシンを踏み(ガタガタと震え)たがります。そんな私がその気になって剣岳や北岳の岩登りに行ったのですから、今から考えると不思議なことです。その時のザイルパートナーは私がスリップしてもしっかり止めてもらえるだけのがっしりした体格でした。
その反対は……考えないことにしていたようです。
山岳部に入部していなかったら絶対チャレンジできなかったコースです。
私はやっぱり歩いて登る方があっているなと思い、岩登りはこれらを最後にしました。
富山県警の山岳警備隊員のすごさにも驚きました。とある年の10月終わりぐらいだったかと思います。関西支社の2人組が剣岳の頂上で落雷事故にあい、一人が救助を求めて室堂まで下山しました。富山県警山岳警備隊が救助に当たりました。会社からは、私たちの山岳部へ応援としての出動依頼がありました。
私も参加しましたが、皆の後を追うのがやっとで、今思えばかえって足手まといだったように思います。頂上からの救助は、頂上にいた人をそりに乗せて雪渓上を下の一般登山道まで一気に滑らせ、そのあとそりから降ろして室堂まで担ぎ上げました。重くてバランスをとるのが大変で、我々山岳部員は登山道の比較的優しいところを一人3分交代で頑張りました。警備隊員達は難しいところをより長い時間担当してくれました。さすが、警備隊員だけあるなと感嘆した覚えがあります。
当時山岳部は会社の文化・体育活動の一環でしたから、一般社員を募集しての山行もありました。奥秩父の乾徳山(山梨県)とか富士山とかです。富士山では私は偵察を兼ねてトランシーバ片手に先頭を歩いていました。参加者の中には高山病で頭痛を訴える人もいましたが、その方たちのお世話も私たちの役割でした。こういった一般参加者との交流も楽しかった思い出のひとつです。
リュックサックの揚力も体験できました。飛行機が翼の揚力で浮かぶのはご存じと思いますが、登山の時のリュックサックも場合によっては翼になります。
ちょうど大みそかに、風が強い中、北アルプスの燕岳を出発しました。大天井岳の登りに差し掛かった時です。背中とリュックサックの隙間を通る風とリュックサックの上を通る風の影響で、リュックサックに揚力が発生し、それにより、体が持ち上げられそうになるのを押えるのが大変でした。風は強くなったり、弱くなったり、まるで息をしているようでした。風の強いときはピッケルを地面にあててじっと耐え、弱くなった隙に前進しました。
前を歩いていた人が横に一回転したときは本当にびっくりしました。リュックサックは約40kg、体重は約70 kg合わせて100 kgを超えます。背中のリュックサックですら100kg以上の揚力が発生するのですから飛行機が浮くのも道理です。無事に大天井岳の頂上に着いて、テントの中でウィスキー入りのコーヒーを飲んだ時はホットしたものです。翌日に見た水墨画のような槍ヶ岳も立派でした。
などとこの投稿を書いていると、
「昼食の冷やしソーメンを作った食事担当が、自分が食べようと思ったときは、もうなかったという南アルプスでの出来事」、
「エアマットを忘れて一人だけ寒い思いをした北岳」、
「台風接近で2日分の行程を1日で歩いた赤石岳とその時の梅酒のうまさ」
などいろんな思い出が次から次へと湧いてきます。
OB会に移行してからは安達太良山(福島県)から岳温泉、碓氷峠から「人間の証明」の霧積温泉など、現役時代には活動時期の違いから同行できなかった先輩達との山行ができました。OB会は解散しましたが、今後は同好会の場を通じて、仲間たちと楽しい時間を共有したいと思っています。