OBからのメッセージ No.51
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佐々木克己卒業年度:1973年(S48年)
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佐々木克己卒業年度:1973年(S48年)
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表題
- 会社員生活(50年)を省みて
2026/09/07
1973年に、就職し50年間ほぼ同じ仕事(下水焼却設備の基本設計)を続けました。官庁の仕事が多数でしたが、技術屋としては少し偏っていたと思います。以下、私の50年間の仕事上の姿勢の一部と海外出張で得た教訓を述べます。
・仕事をする上での私の基本方針(相手の信頼を勝ち取る)
①問い合わせ、依頼、客先要望へのレスポンスは最優先とする。
具体的には打ち合わせの翌日には回答、客先の疑問点や質問にその場で回答する(会社に持ち帰らない)ことを心掛けてきました。
②標準計算等は内容を十分理解し、「+アルファ」の知識を身に付ける。
例えば、設計諸元や各種原単位を把握する。もしプログラム化されている熱・物質収支計算ソフトが手元にない場合でも、概略の手計算での対応が可能になります。
③自分の専門外についても知識が必要。(専門バカでも良いが、広く関連技術を身につける)
私は機械工学科でしたが、仕事上は、他社の電気、計装制御、土木建築、装置設計担当者と打ち合わせする機会が多く、彼らと一人前にやり取りすることが必要でした。そのため、疑問点、不明点、専門用語等をその時々で勉強しました。他社電機設計担当と私の打ち合わせを見て、客先の方が私を電気屋と勘違いされることもありました。
会社人生前半は官庁案件一筋だったため海外出張はゼロでしたが、後半は、韓国および中国出張が相次ぎました。そこで海外出張で得た教訓について少し披露いたします。
・韓国での下水汚泥焼却設備の試運転
自社が韓国企業(A社)に技術輸出し、A社が建設した案件の試運転スーパーバイザーの仕事です。現地に到着後すぐ、A社の担当理事から電話があり、試運転は予定通り出来そうか聞かれ、設備(ハード)は完成していたため、「出来そうです」と回答しました。ところがCRT(表示モニター)をチェックしたところ運転監視制御が出来ていませんでした。ハードはあってもソフトが未完成のため仕方なく、「現状では焼却炉の乾燥焚きは無理」と現地の責任者に話したところ、私が担当理事に「予定通り出来そう」と回答していたため、現場で揉める事態となりました。
安全な試運転には運転監視、シーケンス制御等が不可なため、未完成ソフトの部分を人間で対応することとし、乾燥焚きの期間中、現場操作盤と電気室の温度センサー変換器の前に複数の監視員を配置することを要求(提案)しました。
結果、彼らが翌日には人員(専門違いの建築担当者等5,6名)を召集してくれました。相手側の問題ですが、協力して解決策を見つける姿勢を示せたことで、韓国側も頑張ってくれました。
・中国設計院との打ち合わせ
汚泥乾燥焼却設備の湿汚泥と乾燥汚泥のマテハンライン(コンベヤや自動搬送システムなど)の計画について、設計院の担当者と議論が白熱しました。無理な条件を次々出され、解決策(代案)についてしつこく議論していましたが、自社の営業マン(帰化して日本人)が、これ以上の説明は止めてくれと静止されました。
なぜかと言うと、「相手はもう聞く耳がない」、「中国人に一度嫌われると、もう相手にされない」とのことでした。私も全体状況を見る余裕がなく、自分が正論を言っているとの思いで一杯でした。独りよがりを反省しました。
その後の打合せでは、相手の気持ち、考えを推察し、冷静な対応をすることで、相手を怒らせず、信頼を勝ち取るよう努力しました。その結果、自社の担当重役に対し、私の事を「先生」ではなく「老子」(相手をとくに尊敬している場合の表現)と言われ、お世辞とは言え、悪い気はしませんでした。
・まとめ
会社人生をふりかえると、出世は出来ません(課長止まり)でしたが、自分の担当物件について、冒頭の方針に基づいて思い通りに仕事(設備基本設計)ができ、また客先担当者、設計コンサルタント等の信頼を得て、自社技術のスペックインを勝ち取り、多数の受注に貢献することができました。会社人生について後悔はありません。

-以上-