OBからのメッセージ No.36
|
佐野 満秋卒業年度:1975年(S50年)
|
|
佐野 満秋卒業年度:1975年(S50年)
|
表題
- 新居浜高専の思い出その3 三途の川
2024/6/5
気が付くと私は独り川岸に立っていた。辺りには靄もやが立ち込め夕映えのように ほんのり薄紫色を帯びていた。目の前には大きな川が静かに緩やかに流れており、視界はあまり効かないのに例えようもなく美しい。向こう岸では何やら祭りでもやっているのか、滅法楽しそうな雰囲気で桃源郷のように感じた。じっと目を凝らすと対岸の数人が私に気づき、「おいで、おいで」と手招きを始めた。
さてどうやってこの川を渡ろうか、困惑し乍ながら俯くうつむくとそこに小舟がゆらりゆらりと流れて来るではないか! 渡りに舟とはこのこと。櫂かいの漕ぎ方は小学生の時に習得 していたので不安はない。とりあえず飛び乗った。いざ漕ぎ始めると手応えが随分軽く、向こう岸へ行きたいと思うだけですいすい進み始めたのである。

もう少しで接岸できる頃、後ろから聞き覚えのある声が、あまりにも尋常ではなく絶叫的に叫ぶように私の名前を呼んできた。先程は誰もいなかったはずの岸辺からである。「さっき居た時に呼んでよね」などとも思いながら 急な用事でもできたのかと思いつつ、まだ見ぬ楽しそうな対岸を目前に後ろを振り返った。
その瞬間、目の前は真っ暗になった。呼び声が耳元で聞こえた。聞き覚えのある声。手足や身体中がジーンと痺れていて痺れて感覚が無い。心臓の鼓動がやけにゆっくり響く。自分の手足を見ようと目を開けようとするが瞼がずっしりと重い。少しずつ少しずつ、ゆっくり開いて行った。見開くともはや真っ暗ではなかったがどうもいつもの状況ではない。視野の範囲全体がぐにゃぐにゃと曲がりながらゆらゆらと動いているのである。
そのうち私の顔を誰かがじっと覗き込んでいるのに気づいた。そして口に何か注いでくれた。のどを通ると熱くて五臓六腑を駆け巡るようであった。心臓の鼓動が強く感じて来た。甘くて美味しかった。その後どのくらい時間が経過したことであろう?「さっきの飲み物、もっと頂戴よ」と言ったら「意識が回復したからもう駄目よ」との回答。その声で学校専属の看護婦K.Sさんだと気づいた!「貴女は私の命の恩人、感謝永遠に!」
口に注いだものは赤ワインだったそう。それは気付け薬=救命処置として許されたが、嗜好品としては未成年の私には許可されなかった模様。
あれは所謂いわゆる「三途の川」だったのだろうか? もしも向こう岸に渡っていたらどう なっていたのだろう? そこで祭りを楽しんでいたのか、宴が終ると浦島太郎の様にこちらに戻れたのであろうか? 今だにもやもや疑問が残っている。
3 年生の昭和 47 年の夏、我が母校主催の四国地区高専総合体育大会で陸上競技5000m 走に出走中、ゴール前最終コーナーから直線に移ったところで倒れて気絶していた時に見た夢だったのでした。

そうなった経緯の一因は日射病だったそう。競技日は薄曇りで風は無く蒸し暑かった。手当が遅れたり処置が適切でなければ死に至る場合もあるとのこと。倒れたのが私一人だったから、原因が気象条件だけではなく日頃の過酷な練習で疲労困憊していたのかもしれない。
その年は母校が主催校だったので、何としても好成績を勝ち取ることを目標にしていた。「昨日より今日は1秒でも速く!」と、息の続く限り心臓バクバクで身体能力の限界を超すべく励んでいた。その頃は「練習中は暑くても水は飲むな!」「心頭滅却すれば火もまた涼し」とかいう声が強かった。
日々の猛特訓を経ながらタイムは徐々に向上していた。一年前の自己記録に対して1500m走で20秒短縮し4分15秒程(オリンピック記録は3分28秒、彼がゴールした時に私は1223m地点で300mほど遅れている計算)、5000m走では1分短縮していた(完走ゴールしていたら15分30秒ペース)。天賦の資質には恵まれていなくても練習すれば能力向上できることを実感できたのは賜物。
当時は暑くても精々32℃程だったと思う。教室にエアコンなどは無く、夏の授業は窓を開け、蝉の声を聴きながらの授業だった。日射病という言葉、現在では家や車や建造物の中でも発症することから死語となって「熱中症」に変わった。
その後の小生の半生に措いて、身近な人の生死の境目は何度も見聞きし、自らもそのような境目を4, 5回は経験した。「もうだめかも」と思ったことが一度あったけれど、あんな夢を見たことはそれっきり!
人間誰しもいつかは死ぬ! 最近、身体不調で医者に診てもらえば「年ですから…」との所見が多い。今後、老衰或いは病気で寿命が尽きる可能性は濃厚になるばかり。 53 歳の時に大怪我して一年間ほど入院した時には、極ごく僅かわずかな身の回りの品だけで 過ごすという非日常な経験をした。今の所有物の殆どが無くても日々の生活に支障は無いようである。
遺品整理を複数経験している家内からは、「貴方の荷物は重い物が多いので貴方が先に亡くなった場合には整理するのに骨が折れること間違いなし。今やるべき事は、物欲を捨て断捨離と終活に努め、子孫に迷惑かけないようにする事」と諭され、少しづつ物を整理している。
ただ「思い出」だけは一箱に残すことを許されてほっとしながら。そんなこんなで、最近家の中が広くなって寛ぎくつろぎやすくなり、少し嬉しくなっているのが不思議です。