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OBからのメッセージ No.7

  • 第9期 機械工学科
卒業年度:1975年(S50年)

  • 第9期 機械工学科
卒業年度:1975年(S50年)

表題

  • 昭和と吉田拓郎さん

2022/07/25

 

「僕の髪が肩まで伸びて君と同じになったら~」。昭和45年、高専1年生、当時の向陽寮でよく流れていた「結婚しようよ」という曲である。作詞作曲は広島出身で私より8歳年上の吉田拓郎さん。当時の言い方では、シンガーソングライター、フォーク歌手である。

「私は 今日まで 生きてみました」の歌詞で有名な「今日までそして明日から」という曲を聴いたとき、こういう日常の何気ないできごとを繊細にすくい取って、文字として描写できる拓郎さんの能力に痺れたというより、自分は絶対こういう人にはなれないと半ばあきらめに似た憧れを持つようになった。その後の拓郎さんの活躍は、まさに時代を切り取ったパイオニアだったと思う。

たしか、3年生のときに、新居浜文化センターで拓郎さんのライブがあり、遠くの客席から聴いていると、やっぱりスゴイ人だなあと憧れしかなかった。翌日、クラスのT君(現在は新居浜高専名誉教授)に「昨日、拓郎さんのライブに行ったよ」というと、「昼間、登道のパチンコ屋の前を通ったら本人がパチンコやっとったぞ」なぜか、二人で大笑い。そこにTツボ君が話に加わり「俺も行った。ギターは俺の方が上手いぞ」なぜか、三人で大笑いしたのを覚えている。「LIVE73」というLPレコードを雄風寮の同室のM君(現在は関東ひうち会副会長)のプレイヤーで毎日のように聴いていた。M君は、それからしばらくして「合田、おれ、下宿するわ」と言って、プレイヤーを持って寮を出て行ってしまった。拓郎さんのLPが聴けなくなったのは残念だった。M君が理由も言わず寮を出て行った理由は、結婚してから女房の言葉でやっと分かった。「あなたのイビキで眠れない」。

話は戻るが、拓郎さんが年内で活動の一線から退くことを表明され、7月21日に最後のテレビ出演をされた。2時間超の番組の中で、ゲストの一人である私たちと同世代のさんまさんは、「拓郎さんの歌が、私にとってお父さんでした」と話されていた。私も人生に戸惑ったときに拓郎さんの歌を聴いていると前を向くことができたし、歌詞の中の重みというものも年齢を重ねるごとに感じられるようにもなってきた。

拓郎さんの現役引退は残念だが、自ら引き際を定めて決断された姿は清々しくも感じられる。先の番組の中でも、華々しかった若い頃を回顧せず、現在の自分を見つめた幕引きの仕方は良かった。この引き際にも痺れた。

われわれの世代も「人生の引き際」は抜き差しならない問題となっている。私は67歳になった現在も週5日仕事をしているが、行動がどうしても制限されてしまうコロナ禍の中で引き際をどうするかは悩ましいところである。

拓郎さんが残してくれた数々の曲でも聴きながら、「どれだけ歩いたか考えるよりも しるべ無き明日に向かって進みたい」。私の好きな「元気です」の一節である。

―以上―



運営からのコメント

好奇心に溢れた高専時代に吉田拓郎の歌を通して感じた事を思い出しながら、今から先を考えた合田さんのエッセイ。 読むと、あの頃の寮生活や新居浜の風を感じます。
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