文字サイズ

OBからのメッセージ No.27

  • 第9期 機械工学科
卒業年度:1975年(S50年)

  • 第9期 機械工学科
卒業年度:1975年(S50年)

表題

  • 海外での思い出&今昔四方山話: ドイツ編2 折紙等々の縁

2023/8/15

 

ドイツ国に出張した時の心温まる話:時は2001年8月初旬Dresdenの南西方向に位置する旧東ドイツのFrbrgと言う小さな町に出張していた。12月までの長期滞在が予定されており、滞在費用とレンタカー代金&食費などがべら棒に高額になることが予想されていた。経費節減の為にとりあえず訪問滞在先の会社の屋根裏部屋に住み込むことになった。その部屋に洗濯機は備わっておらず、肌着の着替えが無くなるのに気が付いた。朝7時半から毎夜9時頃まで仕事して、町のレストランで夕飯を食べて11時頃ねぐらに帰るパターン。流石に洗濯する気力が湧かなかったのは悲しい。

 

已む無く、レストランが付帯した廉価な料金のホテルを探した。個人経営の小さな宿が町外れに在ったのでそこに決めた。当時の為替で一泊4千円程度だったと思う。さてさてそういうここのホテルにはコインランドリーが無かった。長期滞在だったから、下着の洗濯は不可避。ハンガーは足りていたが、干す場所が無い。 コインランドリーや下着まで洗ってくれるクリーニング店等を町中探してみたが、無い!無いったら無い!一つも無い!トホホである。 夕食前後の往復時間が不要になったのでその間一月ひとつきほど毎晩、とりあえずシャワー室で泣く泣く手洗いを余儀なくされた。

 

と或る土曜日の朝9時、ホテルのレストランでやや遅い朝食を取っていた時、近くの席に5歳程の女児が一人でポツンと座っているのに気付いた。私の娘は当時19歳と9歳だったが、5歳頃の様子を思い出す。さてさて母親はどこに行ったのだろうか?一人ぽっちで寂しくはないのか?不安はないのか?おれは暇だし時間はたっぷりある。それを紛わして挙げるのも良いかもしれない、と思いついた。

 

自室から折り紙を持って来て、彼女の目線の先になりそうな席に一席離れて座った。鼻歌交じりに、折鶴、奴さん、オルガン、騙し舟、紙飛行機、などなど折っていった。女児は見慣れない人種(旧東ドイツではアフリカ系やアジア系の人種は珍しい)の私の不思議な行動をじっと見つめていた。 そして頃合いを見て、それらを彼女の席に持って行き、「これ、君に挙げるよ」と言ってみた。その女児は驚きと歓喜を発して私を見つめ有難うといった。とりわけ好評だったのが騙し船だった。嬉しそうに楽しそうに目をキラキラ輝かせてそれらを触ったり眺めたり!

私は「じゃぁ、またね」と告げてその場を去った。

 

次の日の朝、朝食を摂りにレストランに行ったらホテルのオーナーが居た。丁度洗濯の不自由さが頂点に達していたので、何か出来ないか交渉してみようと思った。 「これこれこういう風に不自由している。付いてはホテルのリネン室にあると思う洗濯機を使うことを許してもらえないだろうか?」 オーナーの回答は予想外だった! 「貴殿は特別に許す!リネン室の鍵はそこのレジ係が保管しているので必要な時に借りてくれ。」と。万歳、万歳。これからかなり楽になること受け合いだね。

 

後で聞いたことだが、女児の母親はホテルのタオルやシーツ等の洗濯物をリネン室で洗濯乾燥する業務に就いていた。その日は幼稚園が休みの所、父親に用事があって母親が勤務先(旧東ドイツでは小さな職場は未だ週六日労働の人もいた)に連れて来るしかなかった。そういう家庭の事情を暖かく容認する家庭的な職場環境は素晴らしい。女児に加えて様子を見ていたレストランのスタッフからの話に嬉しくなって、私に御礼をしたかったそうだ。洗濯機が使われて居ない時ならホテルの洗濯業務に何ら支障しないので快諾を得る運びになった。リネン室に入るために鍵を借りる事は洗濯前後と乾燥後の合わせて1時間毎に3回発生するのが結構煩わしかったが、洗濯機を使わせてもらうだけでも有難かったのでそれ以上は望まなかった。

半月ほど経った頃、オーナーが「貴殿の洗濯物は出かけるときにベッドの上に置いて行け。洗濯、乾燥し部屋に戻しておいて挙げるよ!」と言ってくれた。きっとその母親が申出てくれたに違いない。9月末で状況は一気に好転した。

 

10 月半ば、オーナーから提案があった。「長期滞在の貴殿をもてなしたい。鮨を提供しようと思うが如何?」

日本を離れてぼちぼち二か月経ち、日本食が恋しくなっていた頃だから、そりゃ嬉しい事、この上なし!「感謝・感激・雨霰」 ホテルのレストランのシェフの友人がドレスデンで日本料理を学んでいた。海辺から500km程離れた内陸のこの町に鮮魚を届けるサービスはなかったので、彼が自分で鮮魚を買い付けて多分200km/h以上の猛スピードで運んだらしい。学んだ日本料理を私に披露して味の評価を期待していたそうだ。因みに彼の御祖母は日本人だったそうである。縁とは異なもの。

 

ホテルのオーナー御夫妻、普段はそこのレストランのチーフウェイトレス(シェフの婚約者) が同席して、手始めに箸の持ち方、使い方を伝授・訓練して、折り紙を紹介して、鮨パーティーの始まり始まり!

 

その夜、家族にe-Mailで知らせたら、長女の厳しい返事:「其れは良かったね。でもパパは大臣でもないし、有名人でもないし、会社では取締役でもない一いち技術者なのにホテルでそのような歓待を受けたのは何でだろう?」と。我が娘よ、ワシにも分らんよ!

 

その夜を境に翌日から、そこのレストランで夕食する際にはまずバーに寄ってSchnaps(火酒)を一杯無料で飲む事が駆け付けの挨拶に成り、食事前に白ビールと黒ビール(併せて1リットル)を飲んでから食事する嵌めになってしまった。

 

金曜日の夜はホテルのダンスホール&バーで毎週ディスコダンスとかパーティーが開催されていたが、オーナーが招待してくれて飲み物がサービスされた。

 

まぁ、折り紙が発端となり「情けは人の為ならず」「芸は身を助ける」「わらしべ長者」等などの言い伝えがどれも当てはまりそうな展開。かくして其処で過ごした5か月間は我が半生の強烈な思い出になったのでした。

 

余談ではあるけれど、長期滞在すると現金が足りなくなる。その時ホテルのレストランで食後のクレジット会計時に「現金が100DM(ドイツ・マルク、当時は8千円ほど)欲しいので食費をその分を上乗せしてね。」 まぁ、とても便利で粋な計らいよ。



運営からのコメント

ドイツへの長期出張で、折り紙を通して現地の人達と触れ合ったエピソードを紹介頂いています。 単なる観光旅行ではなかなか味わえない心温まるふれあいで、現地の人達やOBの笑顔が見える様です。ぜひご一読ください。
Subscribe
Notify of

CAPTCHA


0 Comments
Oldest
Newest Most Voted
Inline Feedbacks
View all comments
PAGE TOP
0
Would love your thoughts, please comment.x
()
x