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OBからのメッセージ No.35

  • 第3期 機械工学科
卒業年度:1969年(S44年)

  • 第3期 機械工学科
卒業年度:1969年(S44年)

表題

  • 立場と役割

2024/05/02

 

私が新居浜高専を卒業し社会に出たのは 1969 年で、高度成長期の真っただ中でした。 その中で経験した出来事で記憶に残っていることを紹介しようと思います。

 

当時、日本は造船量で世界を圧巻していて私の就職したI社もM社と大型タンカーの建造にしのぎを削っていました。

I 社はブラジルとシンガポールに造船所を持っていて、もしかしたら海外勤務を味わえるのではないかと期待をしていましたがこれは見事に外れ、担当したのは造船がらみの設備機械の設計でした。ただ勤務場所は東京駅に近い場所で銀座まで歩いて 10 分程度で、これはこれで都会というものを十分に味合う事が出来ました。

南予の田舎から新居浜に出てきて地域差を感じていたほどだったのでなおさらです。

 

そのうち製造業も流れが船から車に移り始め、I 社もそれまで細々と漁船、国鉄機関車向け等に生産していた小型ターボチャージャーを車両用に生産できないかという事になりました。

I 社は戦前より、タービン製造の子会社を横浜市に持っており、太平洋戦争中に疎開工場の1つとして長野県の木曽にある人口 3,000 人ほどの小さな村に移したのが小型ターボチャージャーの生産拠点でした。(現在は世界6拠点の母工場となっています。)

 

*ターボチャージャーは内燃機関の燃焼ガスが排出される際に噴出する運動エネルギーをタービン軸の羽根車で回転力に変換し、軸の反対側に付いている吸気用の羽根を回転し導入空気をその遠心力で圧縮しエンジンに送り込む機能を持ちます。そのために ①高温に耐え、②高速で回転する羽根車の重量バランスを完璧にして、③高速回転する軸受けの機構、④車体とエンジンの振動に耐える構造が重工業の技術の一部として存在していたのです。(顧客である自動車メーカーH 社の技術者は、当初 I 社ターボの選択理由として、「I 社は航空機エンジンの技術を持っているから」とも話していました。I社の車両用ターボの量産スタートは H 社の車 C-T 用でしたが、その前段階として一定量生産したのは意外にも同社の海外向け500ccバイク用でした。)

 

そこで I 社では、立ち上げに設計部門から2人ほど送り込もうという事になり、私は家族で赴任しました。

 

I 社は重工業主体なので量産品生産の実績は無いに等しく、当時は顧客である自動車メーカーに指導を仰ぐことが度々ありました。

 

*自動車業界は二度のオイルショックを経験し公害の問題が世間を騒がした後に、当時大気汚染を減らすべく排気ガス規制条例が実施される一方、燃費改善も必須でありながら、ユーザーは高度成長に伴う快適性、エンジン出力の増強を排気量アップからターボチャージャーによる小排気量高出力にセールスポイントを移していきました。特に軽自動車には著しいものがあり現在もまだ続いています。

 

何とか、顧客の要求に応えられるようになると今度は採算性が問題になり I 社から生産管理の専門家 Y さんが出向してきて原価改善に取り組む事になりました。更に現地の生産技術、品質管理の部門から中堅社員が各1名と私が専従員としてその専門家の下についた4人でコスト改善のプロジェクトをスタートしました。

 

プロジェクトの目的は“従来の手法を覆し自動車メーカーに対応できる生産体制”を構築する。

Yさんの役割は社長直属で新規体制を構築しそれらを実行できる人材の育成。 われわれメンバーは工場内の新規生産体制の構築とともにそれを改善しながら継続する。 という事でした。

 

専門家の指導のもと原価分析から始め原価管理の基礎を教わりながら、又夫々の専門分野での知識を活かしてあるべき生産工程を想定し社内外夫々のターゲットコストを設定しました。それに向けて改善を行うという当時のオーソドックスな手法でした。しかしながら我々にとっては情報の収集・分析、工程の仮設定、調達先の調査などは新鮮なものでホールの片隅に囲いで作ったプロジェクト室で日常業務と切り離されて過ごした2年間は楽しかったのを覚えています。

 

改善対象は、先ず原価の約7割を占める調達品から始めて主要取引先に“ターゲットコスト”と算出根拠を示し購入価格改善の要請に出向くという形で始めました。 但し、このプロジェクトは従来からのしがらみのある購買・調達の仕組みを変えていく事を前提にしたものであり、トップ直属の組織でした。そのため活動経過は Y さんが直接トップへ報告する以外、外には漏らしてならないという形にしたため、内外からいろいろと批判が出てきました。

・連中は何をやっているのかわからない

・今までの調達先との関係をぶち壊しにする

・老大佐が青年将校を集めて先鋭的なことをやろうとしている、まるで二二六事件のようだ

・せっかく I 社向けの専用設備を新しくしたのに、勝手な要求をされるくらいなら全部日本海に捨てろ(業者経営者)

これらに対し Y さんは「俺は社長から任命されてやっているんだ! 言いたいことがあるなら俺に直接言え。」などと言って撥ねつけていました。

 

取引先訪問前に指導者のYさんから、要請時に夫々「やってはいけない事」を調達先ごとに指示を受け「あとは思うようにやれ、もし失敗しても君たちのミスは俺が何としてでもカバーしてやる。そのために今まで指導してきた」と言われました。 (内容は、法的なこと、契約、折衝態度・・・? のような基本的なことだったと思います)

これを聞いて3人とも奮い立ったのを覚えています。立場と役割の持つ意味を教えられた一言でした。

 

それらの訪問先は、古くから付き合いのある上越方面の数社で、木曽から車で2日間かけて実施しました。道中は長かったのですが、昔経験した修学旅行の雰囲気で楽しいものでした。訪問先の対応は、自動車メーカーとの付き合いがあるところが多いことと先のYさんの“思うようにやれ”のためもあって案外スムーズに聞いてもらいました。 土地柄もあって、訪問先には社長が田中角栄氏の後援会の幹部をやっていて仕事の話よりも政治の話をこちらが伺っている場面もありました。

 

又、長岡市の熱処理業の会社では、対応してもらったのが学者肌の技術者で、我々の工場が熱処理炉を導入する予定があることを伝えるとそれらの原理及び注意点等の講義を賜り、更には数日後イオン窒化に関する自作の手引き書を送ってもらったり、その後取引と関係のない熱処理の質問を度々持ち掛けて、都度丁寧に対応してもらい師弟のような関係になった人もいました。

 

40 年ほど前の話です。



運営からのコメント

新規事業に参画し、調達先を巻き込んで取り組んだコストダウン。その時の指導者から一言「ミスは俺がカバーしてやる」に、奮い立った事は今でも忘れられないと。 懐かしそうに目を細めるOBの姿が見えてきます。ぜひご一読ください。
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